第21話 すみれと封印できないカード

「おそよ〜!朝だよ〜!起きなさ〜い!」
「むにゃ、むにゃ・・・おはよう、お姉ちゃん」

その日、あたしはいつものように龍平を起こしていた。
ほんとに、わが弟はもうれつに朝が弱い。

「早く起きないと、学校に遅れちゃうよ」

そう言いながら、龍平が起きるの待つ。

「ほぇ?」

ふと、あたしは、龍平の机の上に見慣れないものを見つけた。

「龍平、これなに?」
「本だよ」
「それくらい、わかるよ。なんの本?こんな分厚い本、龍平持ってたっけ?」
「パパが、香港から持ってきてくれたんだ。クロウさんが書いた本なんだよ」
「クロウさんの?」
香港の夜蘭(イエラン)おばあちゃんちに、クロウさんが書いた本が何冊かあるって聞いたことがある。
あたしは、本の表紙をめくった。中は見たこともない文字でいっぱいだった。
「ほぇ〜!龍平、こんなの読めるの?」
「いま、パパに教えてもらってる。文字はクロウさんが作った文字だけど、中は中国語と英語だよ」
「そうなんだ」

でも、どうして、とつぜんこんな本をパパが持ってきたんだろう。

「おはよう、パパ」
「ああ、おはよう」
「おはよう、ママ」
「おはよう、すみれちゃん、龍くん。おばあちゃんにごあいさつは?」
そして、あたしと龍平は、撫子おばあちゃんのホログラムに
「おはようございます、おばあちゃん」

そして、テーブルにつく。テーブルの上には、おかゆと油条(ヨウテャオ。お粥といっしょに食べる
揚げパン)、中国風のオムレツなんかが並んでいる。

「おっ、きょうもうまそうやな」
すぐに飛びつきそうなケロちゃんに、ママがひとこと。
「ケロちゃん、『いただきます』は?」
「そうやったな。みんな、『いただきます』や。『いただきます』とちゃんと言うんやで!」
ケロちゃんのことばに、あたしたちは少し笑いながら

「いただきまーす」

朝ごはんを食べながら、あたしは気になっていることを、パパに聞いてみた。

「あのね、パパ。クロウさんの本のことなんだけど・・・」
あたしの質問が終わる前に、答えたのは龍平だった。
「前から、ぼくがパパに頼んでいたんだ。クロウさんの本を読みたいって」
「前からって、いつごろ?」
「お姉ちゃんが、カードを集めだしたころ」
「どうして?」
「うん・・・魔法のことが知りたいんだ。ママもお姉ちゃんもカードを使えるし、パパも魔法を使える。
ぼくは魔力はあるみたいだけど、みんなと違ってカードを使ったりはできない。
それなら、せめて、魔法がどんなものなのか知りたいんだ」

あたしは、ふと、龍平のことばを思い出した。あれは、あたしがサンドのカードを封印しようと
ホテルからサルベージ船まで行こうとしたときのことだ。

→回想シーンの始まり
「大丈夫だよ。カードを使えば、あのぐらいの距離なんて、すぐだよ」
「でも、ぼくは何もできない」
あたしは、龍平の顔を見た。もう少しで泣きそうな顔をしている。
「ちょ、ちょっと、どうしたの。龍平らしくないよ」
「だって、ぼくはお姉ちゃんと違って、封印の杖なんて持っていないし
カードも使えないし、ここで見てるしかできないじゃないか」
←回想シーンの終わり

・・・あたしは、龍平の顔を見つめていた。

「どうしたの、お姉ちゃん?」
「う、ううん、なんでもないよ」

そのあと、あたしは龍平にこう言ったんだ。

「龍平は、カードの気配がわかるんだよ。気配がわかれば、なんとかできるじゃない。
龍平は、龍平にできることを、せいいっぱいやればいいんだよ」

『龍平にできること』

カードが使えない龍平は、きっと、それをずっと探していて、そして、クロウさんの本を読むことが
それを見つけるきっかけになると思っているんだろう。

「でも、お義母さまは、クロウさんの本を香港から持ち出すのは禁止してたはずだけど?」
ママの疑問に、こんどはパパが答えた。
「ああ、そのとおりだ。これまで、龍平の頼みを何回か母上に伝えたが、だめだった。
それが、今回日本に来るときに、とつぜん、母上の方からあの本を渡されて、龍平に読ませるようにと
言われたんだ」
「ほぇ?」
「それはどういうことや?」
ケロちゃんも、食べるのをやめて聞く。
「わからない。ただ、龍平がその気なら、そろそろクロウの本を読んでもいいと思う。
俺も、龍平の年齢のころには、全部読んでいたし」
「パパはそのころからクロウさんの文字を読めたの?」
「ああ。母上や偉(ウェイ)に教えてもらった。読めるようになるまで時間がかかったけどな」
「じゃ、こんどはパパが龍平に教える番なんだね」
「そういうことだ」
そして、パパはことばを続けた。
「基金の仕事の関係で、こんどの日本滞在は長くなりそうだ。だから龍平にはしっかり教えてやるぞ」
「ほんとう?!やったーっ!!!」

パパのことばを聞いて喜んだのは、龍平よりもママだった。

「もうすぐ、友枝町で日中友好のイベントがあるんだ。基金が主催しているから、俺もいろいろとな」

基金っていうのは、日中親善基金のこと(注:架空の団体です)。
パパは李家の代表ということで、いろいろなお仕事をしているけど、日本にいるときのお仕事は、
そこの理事をしているんだ。

「いろいろって、たとえば、どんなお仕事?」
あたしが聞くと、
「たとえば、イベントで中国拳法の表演があるんだが、その表演者の人選とかな。
実は、お願いしていた人が、急にケガをしてしまって、きょうはその代わりを決める予定なんだ。
なんでも、早朝の鍛錬中に勝負をいどまれたらしい」
そこに、ケロちゃんが割りこんできた。
「小僧、そんなことより、イベントなんやろ?なんか、うまいもんが出るんか?出るんやろな?
飲茶トライアスロンとか、満漢全席マラソンとかあったら、わいも出るでぇ!」

ぴきーん!

緊張が走り、パパがケロちゃんをにらみつける。

「ほんと、食い意地がはってるな」
「なんやと?!もういっぺん言ってみぃ!わいは、食いもんに対していつも真剣勝負なんや!」

また、お約束の掛け合いが始まった。そして、

「「いってきまーす」」
「ふたりとも、忘れ物はないわね?」
「「はーい!」」

・・・結局、パパとケロちゃんの掛け合いは、あたしと龍平が学校に向かうまで続いていた。

 

「おはようございます、すみれちゃん」
「おはよう、知美ちゃん」
あたしたちは朝の教室でいつものように、ごあいさつ。すると
「はぁ〜」
「ど、どうしたの、知美ちゃん?とつぜん、大きなため息なんかついて」
「しばらく、すみれちゃんの活躍を撮影できていませんわ〜」
「ほぇ?」
「着ていただきたいコスチュームはまだまだありますのに・・・」
「・・・」
「ご町内の平和を守る、カードキャプター。そのすみれちゃんの活躍を余すところなく撮影するのが
私の使命・・・」
「・・・使命って・・・」
あたしの頭におっきな汗が浮く。
「なのに、なのに、この前のツインのカードのときも撮影を逃してしまうなんて、悔やんでも悔やんでも
悔やみくれませんわ」
「・・・知美ちゃん」
あたしが、知美ちゃんをどうなぐさめようかと考えていると、

「おはよう、木之本さん」
「お、おはよう!」
衛(ウェイ)くんの声だ。とつぜん、声をかけられて、あたしはドキドキしてしまう。
「きょ、きょうは衛くん、日直なんだよね」
あたしは、衛くんがプリントをかかえているのを見て、言った。
「うん。それで、さっきこのプリントを取りに職員室に行ったんだけど、そのとき、先生たちが話を
しているのを聞いたんだ」
「話って、なんの?」
「小見(おみ)先生が入院したらしい。だから、しばらくクラブは中止になるんだって」
「えーっ!?」


話はさかのぼり、その日の早朝のこと。
まだ空が薄暗いころ、公園の中を走る人影があった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・」
朝のトレーニングに励む小見であった。超人プロレス界を退き、今は友枝小学校の教師となった
小見であるが、日々の鍛錬は怠ってはいない。

「!」

小見の足が止まった。

(・・・この気配・・・この闘気・・・!)

ファイティングポーズをとり、気配を察知しようとする。

まもなく気配の方角から、ひとりの女とおぼしき人物が現れた。その気配から、かなりの腕を持つ
格闘家であることを、小見はすぐに理解した。
「何者だ?」
小見の声に、その人物の足が止まる。ゆっくりと顔を上げ、小見に冷たい視線を投げかけた。
(刺客か?)
警戒しつつ、小見は言葉を続けた。
「かつて悪魔将軍と呼ばれ、スレまで立てた俺に、何か用か?」
女は答えない。そのかわり、両手を前で合わせ、合掌礼をする。

「なに?!」

次の瞬間、その女の姿が消えた。いや、消えたのではなく、一瞬のうちに間合いを詰められ、拳を
打ち込まれたのだ。見事な縮地だった。まったく反撃できず、薄れていく意識の中で小見は思った。

(ひょっとして、俺って、やられキャラ?)

「ただいまーっ」
「おかえりなさい、すみれちゃ」
ママはそう言いかけて、
「あら、早いのね。きょうはクラブのある日じゃないの?」
「うん、それが」
あたしは、顧問の小見先生が入院して、クラブが休みになったことを話した。
ママは心配して、
「それで、小見先生はだいじょうぶなの?」
「神宮寺先生のお話だと、命に別状はないって。退院する日は決まっていないから
クラブがいつから始まるかは、まだわかんないけど」
「そう。でも、よかったわ。命に別状がなくて」
「うん。それで、こんど、神宮寺先生とお見舞いに行こうってお話をしているの」
「それはいいわね。きっと、小見先生も喜ぶわ」

あたしはランドセルを背中からおろして、
「おなかすいたーっ。おやつ、おやつ・・・あや?」
と、ダイニングに入ろうとしたとき、ケロちゃんがテーブルの上にすわりこんでいるのが見えた。
こちらからは背中しか見えないけれど、なにかに夢中になっているようだ。
「ママ、ケロちゃんがテーブルの上にいるよ」
「あれはね、クロウさんの本を読んでいるのよ」
「クロウさんの本?龍平が読んでいる本のこと?」
「そう。昼間は龍くんは学校だから、そのあいだはケロちゃんが借りるって。ケロちゃん、
おやつも食べないで、ずーっと、あの本を読んでいるのよ」
「ほぇーっ」

ちょっとイメージに合わないよ。ケロちゃんが魔法の呪文や儀式の本をいっしょうけんめい読むなんて。

「ケロちゃんも魔法の本とか読むんだ・・・」
あたしがつぶやくと、ママは意外なことを言った。

「違うわ。あの本は、魔法の本じゃないの」
「ほぇ?じゃ、なんの本なの?」
「魔法のことも少し書いてあるけど、あの本は、クロウさんの自伝なのよ」
「自伝?」
「ずーっと後から書いた日記、といっていいのかな。あの本は、クロウさんが、まだ魔法の勉強を
していたころのことを、後から思い出して書いた本なの」
「それで・・・」
あたしは納得した。それで、ケロちゃんがあんなに夢中になって読んでいるんだ。
「でもでも、どうして夜蘭(イエラン)おばあちゃんは、そんな本を龍平に読ませようとしたのかな?
龍平は魔法のことを知りたくて、それでクロウさんの本を読みたいってお願いしたんでしょ?」
「ママにもわからないわ。小狼くんのはなしだと、最初は読みやすいからじゃないかって。
龍くんが、最初から呪文や儀式のことでいっぱいな本を読むのはたいへんだから、あの本を選んだのかも
しれないって言ってわ。でもね、ママは思うの」
「ほぇ?」
「ひょっとしたら、龍くんだけじゃなくて、ケロちゃんのことも考えて、お義母さまはあの本を
選んでくれたんじゃないのかなって」
「きっとそうだよ。だって、ケロちゃん、あんなに夢中になって読んでいるんだもん。
ケロちゃんって、クロウさんのことがほんとうに大好きなんだね」
あたしのことばに、ママはにっこりと微笑んだ。
「もう少し、ケロちゃんをあのままにしておいてあげてね。すみれちゃんのおやつなら、もうお部屋に
置いてあるから」
「うん」
あたしは、自分の部屋に行く前に、もういちどダイニングをそっとのぞきこんだ。
やっぱり、ケロちゃんの背中しか見えない。けれど、

(ケロちゃん、とっても楽しそう・・・)

ケロちゃんのしっぽが、ゆらゆらとゆれていた。

その日の晩ご飯は、エビフライだった。
「いや〜、ほんまうまいなぁ、このエビフライ」
ケロちゃんがもぐもぐとエビフライをほおばっている。
「さくらの作るエビフライは絶品や」
「ありがとう、ケロちゃん」
ママがにっこりと笑う。
「それに・・・」
ケロちゃんは2つめのエビフライをかかえあげると、

ペトっ

「このタルタルソースもなかなかや」
「それはね、すみれちゃんが作ったのよ」
「ほんまか?すみれの腕前もなかなかやな」
「たいしたことないよ。ママに教わったとおりに、マヨネーズにいろいろ混ぜただけなんだから」
「そうかもしれへんけど、うまいでぇ」

パクッ

ケロちゃんが、2つめのエビフライをほおばった。
「きょうのケロちゃんは、ほんとうにおいしそうに食べてるなぁ」
龍平のすなおな感想に、あたしは
「当たり前だよ。ママのエビフライはおいしいし、それにきょうのケロちゃん、おやつを食べて
いないんだよ」

「なんだって!」

あたしのことばにびっくりしたのは、パパだった。
「なにがあったんだ、ケルベロス?お前がおやつを食べないなんて、ただごとじゃないぞ」
パパの追及に
「ほんほほんれいらんら(本を読んでいたんや)」
ケロちゃんが、エビフライをほおばりながら答えた。
「本?なんの本だ?」
「ひま、りゅうへえはほんほる、ふろおおほんら(いま、龍平が読んどる、クロウの本や)」
「そうか」
パパは納得したようだった。すごい。ケロちゃんが食べながらしゃべっても、パパには何を
言っているのかわかるんだ。

「ケロちゃん、クロウさんの本って、おもしろい?」
と、あたしが聞くと
「まぁな」
2つめのエビフライを食べ終わった、ケロちゃんが答えた。
「やっぱりクロウはクロウや。若いうちから根性曲がっとったことがようわかるで」
悪口を言っているのに、なぜか悪口に聞こえない。
「それって、どういうこと?」
あたしの質問にパパが答えた。
「あの本は、クロウ・リードがまだ魔法を勉強していたころのことを書いた本だ」
「うん、それはママに聞いたよ」
「クロウ・リードはゴールデンドーンというところで魔法の勉強をしていたんだが、あまり
すなおな生徒じゃなかったんだ。たとえば、魔法の儀式に失敗して、借りてきた大切な壷を
割ってしまったことがあるんだ」
「それって聞いたことがある・・・ひょっとして、グルー(膠)のカードを作ったときのお話?」
「知っているのか?」
「わいがすみれに話したんや。グルーのカードに聞いてな」
「壷を割ったとき、クロウさんは謝らなかったの?」
「そうは考えなかったらしい。割れた壷のかけらを見て、クロウがまず考えたのは、これを魔法で
直せないかってことだったんだ。そう思うと、自分の力を試したくなったそうだ」
「それでクロウは、グルーのカードを作ったんや。これはすごいことやったんで」
「ケルベロスの言うとおりだ。そのころのクロウにとって、カードを作るのはまだまだ大変だった
はずだったからな」
「そうなの?」
「そうや。たとえて言うとな、クロウの考えっちゅうんは、マラソンで近道してズルしたい思うたら
ほんとうに近道してしまう。けど、その近道用にその場で橋やトンネルまで作ってしまうようなもんや。
ちょっとラクしよう思うたら、ほんとうにラクしてしまうんやが、そのラクをするために、
すなおにやる場合の何倍ものことをやってしまうんが、クロウの根性が曲がっとるとこでもあるし、
すごいとこでもあるんや」
「まぁ、そのおかげで、ゴールデンドーンではいろいろ問題を起こしたようだが、先生にあたる人には
可愛がられたようだ。ウェイト(Waite)とかな。グルーで直した壷も、すぐにウェイトに
見破られたが、結局、たいして怒られなかったようだ」
「ほぇ〜」
パパとケロちゃんのお話を聞いて、あたしは、クロウさんのすごさがよくわからなくなってきた。

「そうや、小僧、本はいったん返すわ。晩ご飯終わったら、龍平に読み方を教えるんやろ?
龍平が使わんときだけ、わいが読めるという約束やったからな」
「ああ。だが、きょうは龍平に教える前にはすることがある。すみれ、食事が終わったら、
話したいことがあるんだ。ちょっといいか」
「いいけど・・・なんなの、パパ?」

そして、晩ご飯が終わったあと。
「ありがとう、すみれちゃん。もう後片付けは終わりだから、パパのお話を聞いてあげて」
「はーい」
あたしはエプロンをはずしながら、パパのいるリビングに入った。
「手伝いは終わったのか?」
あたしに気がついたパパが聞く。
「うん。で、話したいことってなに?」
パパの正面にすわる。
「朝ご飯のとき、俺が、友枝町で行う日中友好のイベントで中国拳法の表演を頼んでいた人が
出られなくなった、という話をしたことは覚えているか?」
「うん。きょうはその代わりの人を決める予定だったんでしょ?それで誰に決まったの?」
パパはあたしの質問に直接答えないで、
「きょうの会議で、李家刀法をやろうじゃないか、という話になったんだ」
「ほぇ?」

李家刀法。パパのおうちに伝わる中国武術のひとつ。『刀法』って名前がついているけど、
刀器と呼ばれる、日本で言うなぎなたみたいな武器を使う。パパは剣術も達人なんだけど、
刀器はあまり使わないみたいだ。

「会議のメンバーに、たまたま刀法を知っている人がいて、今から代わりの拳法家を探すのも大変だし、
太極拳のような拳法よりも、なにか武器を使った表演のほうがイベントらしくていいだろう、
というように話が進んでいったんだ」
「それじゃ、パパが表演するの?すごーい!あたし、見に行くよ!」
「というわけにはいかないんだ」
「ほぇ?」
「李家刀法の表演というのは、ふたりが基本なんだ。俺だけではできない」
「それって・・・ひょっとして、あたしがパパと表演するってこと?」
「半分あたりで半分はずれだ」
パパは難しい顔をして話を続けた。

「俺とすみれでは、背の高さが違いすぎる。すみれといっしょに表演は無理だ」
「じゃ、パパが誰かと表演するの?」
「それも今からでは見つからないだろう。会議でそのことを話したら、今度はメンバーに、
子どもを友枝小学校に通わせている人がいて、

<回想モード>
『そういえば、友枝小学校に中国拳法部がありますよ。その中から表演する子を探したら?』
『それはいいかも。子どものほうがイベントも華やかになるし』
『確か、李さんのお子さんも友枝小学校に通われているんでしたわね』
『ええ、そうですが』
『知っていますよ。お嬢さんが中国拳法をなさっているとか』
『ええ、まぁ』
『それはちょうどよかった。ひとりは李さんのお嬢さんにお願いして、あともうひとりは
学校のクラブから選べば』
『ちょ、ちょっと、そんなに急に・・・』
</以下、話がどんどん進んでしまう流れで回想モード終了>

・・・というわけなんだ」
そこまで言うと、パパは肩をすくめた。
「すみれなら、これから練習しても基本的な表演ならなんとかなると思う。やってみるか?」
「うん!」
あたしは、すぐに答えた。だって、前から拳法だけでなくて剣術なんかもやってみたかったんだ。
けど、パパにそれを言っても、まだ早いとか、危ないから、とか言って武器を使う武術は教えて
くれなかった。
「そうか。じゃ、あとひとりだな。クラブで、いっしょに表演できそうな子はいるのか?」

あたしは、名前を言おうとして、けれども、言えなかった。

「どうしたんだ、すみれ?顔が赤いぞ?」
「ほぇ?」
あたしは思わず両手でほおを押さえて、うつむいてしまった。
(やだ・・・ほおが熱くなっている)
どうしたんだろう。衛(ウェイ)くんの名前を言おうとしただけなのに。
「?」
パパは、不思議そうにあたしを見つめている。
「あ、あのね、パパ」
あたしはうつむいたままで衛くんの名前を言おうとした。
そのとき、
「それだったら」
ママの声がした。ママは、テーブルにお茶が入ったマグカップを置きながら
「衛くんがいいんじゃない?すみれちゃんと同じクラスだし、クラブもいっしょだし」
「う、うん。あたしも衛くんのことを言おうと思っていたんだ」
ママに続けて、あたしもあわてて言った。するとパパは、
「衛って、あの、コスプレ結婚式をしたときの子か?」
「うん」
パパは顔をしかめた。
「どうしたの、パパ?」
なんか、パパの機嫌が悪くなったみたいだ。
「いや。それで、その子は中国拳法は強いのか?」
「うん、クラブでいちばんだよ。顧問の小見(おみ)先生よりも絶対強い。
クラブで、あたしとちゃんと組み手ができる子は衛くんだけだもん」
「・・・そうか」
パパは少し考えていた。

しばらくして、
「・・・わかった。じゃ、あすの放課後、学校でその子の腕前を見よう」
「学校で?パパが学校に来るの?」
「実は、もう、校長先生には話が行っているんだ。基金のメンバーに気の早い人がいてな。
問い合わせたら、練習場はしばらく空いているし、校長先生はその基金のメンバーとは昔からの
友人でもあるので、イベントまで練習場を使わせてもらえることになったんだ」
「ほぇ〜」
確かに、中国拳法のクラブはしばらくお休みだから、練習場を使うのは問題がない。
それにしても、話が早すぎるような気もする。

「よかったわね、すみれちゃん」
ママにそう言われて、あたしは少しあわててしまった。
「よ、よかったって、なにが?」
「だって、衛くんといっしょでしょ?」
「う、うん。で、でもそんなこと関係ないよ」
「なに、あわてているの?すみれちゃんと衛くんなら、きっとじょうずにできるわ。
表演は、ぜったい見に行くから、がんばってね」
「う、うん」
ママは、なぜかとてもうれしそうだった。


それからしばらくして、すみれが部屋に戻ったあと、さくらと小狼はリビングでお茶を飲んでいた。

「・・・エビフライ・・・か」
「エビフライがどうしたんだ」
さくらの唐突なことばに、小狼が尋ねた。
「うん、あの日もエビフライだったんだ」
いたずらっぽい表情でひとりうなずくさくらに、小狼はさらに尋ねた。
「あの日って、何の日だ?」
「あの衛くんって子が転校してきた日。あの日の晩ご飯もエビフライだったんだ」
「なんで、そんなことを覚えているんだ?」
小狼のもっともな質問が続く。さくらはくすっと笑って
「あの日は、すみれちゃんとエビフライの下ごしらえをしていたの。そしたら、すみれちゃんが
その日、転校してきた男の子の話を始めたんだ・・・」

<回想モード:「すみれもさくらも知らないカード」から>
「で、先生とその子、どちらが勝ったの?」
「先生。最後には、あたしがカウントをとっちゃった」
「カウントって、中国拳法でしょう?」
「だって、小見先生、興奮しちゃって
『木之本、カウントとってくれ!』って言うんだもの。
でも、あれは衛くんの方が、わざと負けてあげたんだと思う。
衛くん、パパや苺鈴おばさんと同じぐらい強いんだもん」
「初めてだよね」
「何が?」
「すみれちゃんが、クラスの男の子の話をしてくれること」
「そ、そっかなぁ」
</回想モード終了>

「ね、小狼くん?」
「なんだ、さくら?」
答えながら、小狼は気づいた。さくらの目が、いたずらっぽく、それでいて楽しそうな、幸せそうな
目をしている。
「わたしたちが初めて出会ったのはいつだったかしら?」
「友枝小学校の・・・4年生のときだ」
「うん、うん」
さくらは2回うなずいた。
「では、次の問題です。すみれちゃんは、いま何年生?」
「小学・・・5年生だ」
「あったりー!ということは、わたしたちが出会ったときよりもひとつ上、というわけね」
「さくら、なにが言いたいんだ?」
小狼の少しあわてた質問にさくらは、
「なーんにも」
と言って、笑った。そして、手元のマグカップに目を落として
「でもね、ひょっとしたら・・・って思ったりするんだ」

「はぅーっ」

次の日のお休み時間、あたしは知美ちゃんの前で思いっきり大きなため息をついた。
「すみれちゃん、どうなさいましたの?」
知美ちゃんが、あたしに聞く。あたしは、ろうかに出て行く衛(ウェイ)くんの後ろ姿を見ながら、
「また、衛くんに言えなかったよー」
「愛の告白には勇気がいりますから、無理もありませんわ」
「違う!知美ちゃんまで、チュルミンみたいなこと言わないで!放課後の話だよー。
衛くんと練習場に行けないと、パパに刀法を教えてもらえなくなっちゃう」
「きょうのすみれちゃん、お休み時間になるたびに、衛くんに話しかけようとして固まってましたから」
「そうなんだ。ただ、放課後に李家刀法の練習をするから、練習場に行こうって、それだけなのに・・・」
それだけなのに、ドキドキしてことばが出てこない。衛くんが話かけてくれるのなら、きっとふつうに
お話ができるんだけど、なぜか、あたしからはお話できなくて、その間に衛くんは他の子と話したり、
どこかに行ってしまう。
「うーん」
どうしたらいいんだろう。あたしがうんうんうなっていると、
「でも、そんな悩んでいるすみれちゃんも」
かすかな機械の音が聞こえる。ひょっとして、と思ってあたしが顔を上げると、
「超絶かわいいですわー!」
「知美ちゃん!」
知美ちゃんが、あたしにビデオカメラを向けていた。
「・・・」
あたしの頭に思いっきり大きな汗が浮く。
「いつものすみれちゃんですわ」
「ほぇ?」
「もう、いつもどおりのすみれちゃんですわ。意識しないで、リラックスすれば、きっと衛くんに
話しかけることができますわ」
「うん・・・ありがとう、知美ちゃん」

「・・・以上で、きょうのホームルームは終わりです」
「起立!先生、さようなら」
「はい、さようなら。みんなも、気を付けて帰るのよ」
「はーい」

神宮寺先生が教室を出ると、教室はざわざわし始めた。もう放課後だ。それなのに、知美ちゃんに、
リラックスって言われてのに、あたしはまだ衛くんに話しかけられないでいた。
衛くんを見ると、帰りじたくを始めている。それも、いつもより急いでいるみたいだ。
(だめ、急いで言わないと、衛くんが帰っちゃう!)
あたしは、思わず、いすから立ち上がった。
「あ、あの」
そこまで言って、あたしは固まってしまった。なぜなら、衛くんと目線が合ってしまったから。
「あ、あの」
あたしは、同じことばを繰り返して、続きが出てこない。
「あ、あの・・・」
そのときの時間が、あたしにはとても長く思えた。
「どうしたの、木之本さん?」
そして、衛くんの次のことば。
「木之本さんは練習場に行かないの?」
「ほ、ほぇ?・・・練習場って・・・?」
「きのう、なんとか基金ってところから、おばあちゃんに電話が来て、ぼくと木之本さんがイベントで
武術の表演をするからって話・・・ひょっとして、木之本さんは聞いていなかったの?」

ズザーッ(←すみれが思いっきりコケる音)

「木之本さん、どうしたの?」
「う、うん、なんでもない。そ、そうだね。あ、あたしもいっしょに練習場に行くんだ」

・・・もう!きょうのあたしのどきどきは、なんだったのよ!

練習服に着替えて練習場に入ると、パパはもう来ていた。
「ふたりとも、よく来たな」
刀器を持ち、練習服を着たパパは、いつもと違って見えた。練習服の胸のところには、李家のマークが
入っている。
(パパ、ちょっとかっこいいかも)
あたしがそう思ってパパを見ていると、
「おひさしぶりです。衛エドワードです」
衛くんが、パパにあいさつをする。
「すみれから聞いているが、君は中国拳法をやっているそうだな」
「はい。たいしたことはありませんけど」
「流派は?君の師匠は?」
「イギリスにいたころ、近所のおじいさんに教わっていたので、流派はよくわかりません。
正式な道場で習っていたわけもないので。ただ、老師は、若いころ、カンフー映画のスタントを
よくしていたそうです」
「・・・そうか」
パパはがっかりしているように見えた。
「張(チャン)教授から聞いていると思うが、今度のイベントで、ふたりで李家刀法の表演をして
もらいたい。だが、それをするには、ある程度の武術ができなければならない。きょうは、まず、
君の腕がどの程度か確かめたいんだ。見せてくれないか」
「わかりました」

衛くんはそう言うと、練習場の中央に歩き出した。

それから衛(ウェイ)くんが見せてくれた拳法は、とてもしなやかで、それでいて力強かった。

収式(終わりの型)をとる衛くんに向かって、パパはうれしそうに
「良い師匠に教わったようだな」
「ありがとうございます」
パパはうなずくと、あたしと衛くんに刀器を差し出した。
「これからイベントの日まで、李家刀法の練習を行う。だが、その前にふたりにひとつだけ約束して
ほしいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
「これから渡す刀器は、表演用で実戦で使うものではない。本物の刃はついていないんだ。
だが、君たちふたりなら、この表演用の刀器でも人を傷つけることはできるだろう。
だから、これだけは、絶対約束してくれ」
パパは、あたしと衛くんの顔を見ながら言った。
「俺が見ていないところでは、絶対に刀器を使わないこと」
「わかりました」
「わかったよ、パパ」
あたしたちの返事を確認すると、パパは刀器を渡してくれた。
持ってみると、刃が本物でないせいか意外に軽い。長さは、背の高さより少し長いぐらい。
「では、さっそく、李家刀法の基本から始めよう。基本の型には、四手の撥(はらい)と
三手の鈎(ひっかけ)がある。他に衝(つき)と分(ひらき)が一手ずつ。
そうだ、その前に、刀器の持ち方から始めなければいけないな」

こうして、あたしと衛くんの練習が始まった。

練習が始まってから何日かたってからの、あたしと知美ちゃんの会話。

「いかがですか?衛くんとの練習は?」
「う、うん。なんとかうまくいってるよ。パパはていねいに教えてくれるし、衛くんも上達が早いから、
いろんなところをサポートしてくれるんだ」
「それはすばらしいですわ〜。すみれちゃんも、これでお父様公認で衛くんとお付き合いできますし」
「そ、そんなこと関係ないよ。今度のことは、たまたま、あたしと衛くんがイベントの表演をすることに
なって、それで毎日練習しているんだから」
あたしが少しあわてて言うと、知美ちゃんはあたしの手をにぎった。
「ほぇ?」
知美ちゃんの目が輝いている。
「ところで、おふたりの表演服はもう作られましたの?もし、まだでしたら、ぜひぜひ、わたくしに
作らせてくださいな」
「ごめん。表演服は、もう注文してあるんだ。李家刀法の表演服って、いろいろお約束があって、
作るお店も決まっているから」
あたしがそう答えると、知美ちゃんの目から輝きが消えた。
「そうですの・・・それは残念ですわ」
そして、あたしの手をはなすと
「すみれちゃんと衛くんにおそろいの服を作るチャンス・・・こんなすばらしいチャンスを逃すなんて
・・・一生の不覚ですわ・・・!」
「不覚って・・・」
知美ちゃんは、あちらの世界に行ってしまっている。
「おふたりの服には、○×■なことや!、Σ≧ёなことをしようと思っていましたのに・・・!」

「・・・いったい、どんな表演服を作ろうとしてたんだろう・・・」

あたしの頭に、お約束のおっきな汗が浮いた。

しばらくして、知美ちゃんはあたしの手をにぎりなおすと、
「イベントの日には、もちろん、わたくしも駆けつけますわ!すみれちゃんと衛くんの雄姿を
最新鋭の機材を駆使して撮影いたします!」
「う、うん。ありがとう」
あたしは、そう答えるしかなかった。
「これからも、練習、がんばってください」
「ありがとう。でも、きょうの練習はお休みなんだ」
「あら?どうしてですの?」
「小見(おみ)先生のお見舞い。神宮司先生とあたしと衛くんでお見舞いに行こうって、
前から決めていたんだ。パパに言ったら、そういうことならって。クラブのみんなの寄せ書きとかも
持って行くんだよ」
「まぁ。それはきっと小見先生喜びますわ〜」

「先生、早くよくなってください」
「・・・ああ・・・」
病室での小見(おみ)先生は元気がなかった。
「あ、あの、これ」
お花を渡したけれど、返事はない。
「これは、クラブのみんなからの寄せ書きです」
「・・・」
衛(ウェイ)くんが寄せ書きを渡しても、小見先生の反応はない。
こーゆーのを、魂が抜けたみたいっていうんだろうか。
神宮司先生が言うには
「お医者様は、もう小見先生の体には問題はない、とおっしゃっているんだけど・・・
ずぅーっとこんな様子なんですって。よっぽど負けたことがショックだったみたい」

「・・・俺が負けるなんて」

小見先生がぼそっとしゃべった。そんな小見先生に、神宮司先生は
「でも、先生は負けたわ」
「神宮司先生、そんな言い方をしなくても」
「木之本さんは黙っていて。小見先生、先生は朝の公園で見知らぬ女性に勝負を挑まれて、負けたんです」
「だが、俺はかつて悪魔将軍と呼ばれ、スレまで立てたんだぞ」
「いくら悪魔将軍でも弱ければ負けます」
「なんだと!」
「試してみましょうか?」
「上等だ!」
気色ばんだ小見先生に、神宮司先生はにっこりと笑った。

「秘技・華氏等(かしら)の舞!」

「・・・うっ」
次の瞬間、小見先生の目の前にハリセンが突きつけられていた。ハリセンの寸止めだ。
小見先生が汗ジトになって、神宮司先生を見る。
「やっぱり、なまっているわね」
神宮司先生が、いつのまにか持っていたハリセンを降ろした。
「小見先生の動き、防災センターの時(「すみれとドキドキマヨネーズ」参照)より遅くなっているわ」
「そ、そんなはずはない!今のは、ちょっと油断しただけだ」
「そうかしら?じゃ、もう一度、技をかけるわ。次の技をかわしたら、先生の言うことを認めてあげる」
「わかった」

あたしと衛くんは、突然の、まるで別のアニメのような展開を前にして、あわてて小声で会話をする。
(衛くん、あたしたち、どうしたらいいんだろう)
(そんな、ぼくにもわからないよ)
あたしたちは、ただ見ているしかなかった。
ふたりの間に闘気が高まっていく。そして、それが頂点に達したとき

「伊吹落し!」

神宮司先生のハリセンが、小見先生に向かって叩きつけられ、

「ハァアッ!」

小見先生の叫びが病室に響き渡った。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・

「ほぇ〜っ!これって、ぜったい番組が違ってるよぉ!」

ハリセンを叩きつけられたベッドが、大きくへこんでいる。

「小見先生は、どこ?」

衛くんの声に

「俺は、ここだ!」

小見先生は、病室の窓のそばに立っていた。ベッドの上からジャンプしたんだ。決めポーズを決めて

「伊吹落し、敗れたり!」

そのことばを聞いた神宮司先生は、ベッドに叩きつけたハリセンをゆっくりと顔の前まで持ち上げた。

シューッ

摩擦熱のせいか、ハリセンに煙のようなものがまとわりついている。

ザッ

神宮司先生は、煙をはらうようにハリセンをふりはらった。

「それは・・・どうかしら」
「なんだと!?」

ぽた、ぽた・・・

「これは?」

小見先生のパジャマから、ボタンが足元に落ちていく。神宮司先生のハリセンのせいだ。

「以前の小見先生なら、秘技レベルの華氏等の舞はともかく、伊吹落しは見切れたはず。
やっぱり、動きがなまっているのよ」
「俺の・・・動きが・・・なまっている・・・」
小見先生は、自分の両手を見た。
「小見先生は、友枝小学校に赴任してから、格闘家としての自分をおろそかにしていたのよ」
「・・・そんな、そんなはずがない」
「事実よ。先生の足元にあるボタンが、その証拠」
「俺が、格闘家としての自分をおろそかにしていたのか」
小見先生は、両手を握りしめた。そして
「ならば、今一度、鍛えるのみ!俺はやるぞ!格闘家として、そして教師として、恥ずかしくない自分を
取り戻す!かつて悪魔将軍と呼ばれ、スレまで立てた自分を取り戻すんだ!」
そして、小見先生はあたしたちに向かって
「俺はたった今、退院する。しばらく闘技場に身を寄せ、自分を鍛え直してくる。トォッ!」
と言ったと思うと、病室の窓からパジャマのままで飛び降りた。
「先生!ここは4階です!」

あたしは、思わず窓に駆け寄った。

「あ、そうだ」

あたしが窓に駆け寄ると同時に、窓の外から小見先生の顔がにょん、とのぞいた。

「ほぇーっ!!!」

あたしは、思いっきりのけぞった。

「飛び降りたんじゃ・・・ないんですか・・・?」

そんなあたしをまったく無視して、小見先生は
「神宮寺先生、クラブの練習場はいつから使えるんだっけ?」
「確か、木之本さんたちの表演の次の週からよ」
「そっか。じゃ、その週から戻るから、教頭先生によろしく」
「わかりました。でも、休暇の申請は小見先生が自分でしてください」
「そりゃそうだな。じゃ」

事務処理を確認すると、窓からのぞいていた、小見先生の顔をひょい、と消えた。

「小見先生!」

今度は、衛くんが窓のそばに駆け寄った。

「木之本さん、あれ」

ぱら・・・

衛くんの指差す先で、小見先生のパジャマだけが宙を舞っていた。

あたしたちはあわてて、窓から下を見下ろすと、立っている小見先生が見えた。4階から無事に
飛び降りたんだ。いつのまにか、古代ローマの戦士のようなよろいに着替えている。

「いったい、いつ着替えたの?」
「まさか、パジャマの下にあのよろいを着ていたんじゃ・・・?」

そんな疑問を持つあたしたちに向かって、小見先生は

「木之本、衛、先生は自分を鍛え直して戻って来る。木之本たちも、表演、がんばれよ」
「はい!」
あたしと衛くんは、病室の窓から答えた。
「表演の次の週から、クラブは再開だ」
「はい!」
先生は、あたしたちの方に右手を突き出し
「練習場で、君たちと握手」

それだけ言うと、あたしたちにくるりと背を向けて、どこかに向かって走り出した。
地面は舗装されているのに、なぜかものすごい土煙を上げて走って行く。

「ほんと・・・なんでもアリなんだな」
「そ、そうだね」

あたしと衛くんの頭におっきな汗が浮く。けれども

「よかったじゃない。小見先生は立ち直ったんだから」

神宮司先生だけが、落ち着いていた。

そして、とうとう表演の日がやってきた。

「すてきですわ〜!」

表演服に着替えたあたしを見て、知美ちゃんのテンションがもうれつに上がる。
「ほんと、よく似合っているわよ、すみれちゃん」
知美ちゃんの隣にいるのは、ママ。
「ね、小狼くんも、そう思うでしょ?」
ママに同意を求められたパパは、なぜか照れくさそうに
「ああ」

「あ、うちのエドワードも着替えが終わったようですよ」
張教授のことばに、男の子用の着替え室の方を見ると、ちょうど衛くんがドアを開けて出てくる
ところだった。
「おまたせしました」
衛くんは、そでの長さを気にしながら、こちらの方に歩いてくる。

「衛くんも、超絶すてきですわ〜!」

知美ちゃんのテンションが、もっと、もうれつに上がった。

「色違いなんだね」
龍平の感想だ。
「うん、李家刀法の表演服って、いろいろと決まっているから」
あたしの隣に並んだ、衛くんの表演服は、濃い紺色に黒いラインが入っている。
そしてあたしのは、白色に、すみれ色のライン。
ほかにも、いろいろとししゅうなんかが入っているけど、
「色だけでなく、胸のマークも違いますね」
張教授は、あたしたちの表演服を見比べて言った。
「すみれの表演服に入っているのは、李家の紋章です」
パパが説明した。
「そして衛君の表演服に使われているのは、客人用のものです。
李家の紋章は、一族の者しか使えませんから」
「それは・・・ちょっぴり残念ですわ・・・」
ため息をついたのは、知美ちゃんだった。
「ぜひぜひ、おふたりにはおそろいの紋章を付けた服で、表演なさってほしいですわ〜。
そして、その姿を思う存分撮影する私・・・幸せですわ・・・」

幸せすぎる知美ちゃんの時間が止まる。次の瞬間、知美ちゃんは衛くんの手を両手に取って

「衛くん、すみれちゃんのご家庭に入りませんこと?」
「え?」
「衛くんがすみれちゃんと結婚なされば、李家の紋章を付けられますわ」
「え、え?」
「そうすれば、今回の表演は完ぺきです。このさい、思い切って・・・」
「え、え、え?」
「それはいい考えですわね」
「おばあちゃん!」

衛くんのあわてぶりに、みんながどっと笑う。・・・けれど、パパだけはぜんぜん笑っていなかった。
そして、ママは笑いながら、
「小狼くん、表演の前に、ふたりになにか言ってあげて。せっかく、知美ちゃんと張教授が
ふたりの緊張をほぐしてくれたんだから」
「そ、そうなのか?」

目をパチクリさせたパパは、しばらくして、コホン、とセキをすると
「ふたりとも、きょうまで、よく練習をがんばった。なにもあわてたり、あせったりすることはない。
練習でやったとおりに、確実にやればいいんだ。わかったな」
「はい!」
「じゃ、俺たちは先に席に戻っているから。基金の理事とかやっていると、長く席をはずせないからな。
がんばるんだぞ」
「はい」
そうか、パパにとっては、きょうもお仕事なんだ。
「では、すみれちゃん、私も撮影の指示を出さなければなりませんので・・・龍くん、行きましょう」
「うん」
そして、張教授も
「がんばってくださいね。私も、木之本さんのお父さまの近くの席で見てますから」
「はい、がんばります」

あたしと衛くんは、パパたちを見送った後、
「衛くん、あたしたちはどこで出番を待てばいいの?」
「あっちだよ。ぼくたちの出番は、早いほうだから、そんなに待たないはずだよ」
「そっか。じゃ、行こう」


「次ですから、こちらでお待ちください」
「はい」

あたしと衛くんは、ステージの袖で待つ。
そぉーっと、ステージの方をのぞくと、
「ほぇ〜っ!」
「どうしたの、木之本さん?」
「あんなにおおぜい・・」
「お客さんが?」
「そうじゃなくて・・・」
見えたのは黒服の女の人がいっぱい。間違いなく、知美ちゃんのおうちのガードレディさんたちだ。
3人1組で、カメラやマイクを持っている。そういえば、ガードレディさんたちって、みんな、
護身術なんかだけでなく、カメラやマイクの技術も一流の人ばかりだったんだ。

「知美ちゃん・・・て」
「大道寺さん・・・て」
「「本気なんだ・・・」」

あたしと衛くんの頭に、おっきな汗が浮いた。

「次は、古くから伝わる、中国武術のひとつである、李家刀法。この李家刀法の表演を、
友枝小学校の中国拳法クラブのおふたりに披露していただきます。
表演を行うのは、木之本すみれさん、衛エドワードさんです。暖かい拍手でお迎えください!」

司会の声を聞いて、あたしと衛くんは、刀器を持って、拍手の中を駆け出して行く。

「きょうの表演は、中国の古い物語である水滸伝を題材にとったものです。会場のみなさま、
ゆっくりとおふたりの表演をお楽しみください」

あたしたちは、リハーサルどおり、起式(始まりのポーズ)をとって、心を落ち着かせる。

(衛くん、がんばろう)
(うん)

聞こえるはずのない、声が聞こえた気がした。

まもなく、ドラの音とともに、音楽が流れ出した。同時にあたしたちも、動き出す。

『四手の撥(はらい)と三手の鈎(ひっかけ) あわせて七手
 衝(つき)と分(ひらき)で神技九変
 二十四歩で前後をいなし
 十と六歩でくるりと一転・・・』 

(元ネタ:水滸伝第57回 駒田信二氏訳を元にしました)

表演は無事に終わったみたい。あたしと衛くんが拍手をあびながらステージから降りると、
最初にやってきたのは、知美ちゃんと龍平だった。

「すてきでしたわ〜!」
「そ、そうかなぁ。あたし、夢中でよく覚えていない・・・」
収式(終わりのポーズ)をとるまで、あたしの頭の中は真っ白だっんだ。
「ちゃんと練習どおりだったよ」
衛くんがにっこりと笑って言った。
「ほんと?」
思わず、あたしも笑った。あたしと違って、衛くんは表演の間もちゃんと冷静だったみたい。
衛くんって、やっぱりすごいんだ。

そこに、パパとママに張教授もやって来た。
「ふたりとも、よくやったな」
「よくがんばったわね、すみれちゃん」
「よくやったわ、エドワード」

あたしと衛くんは照れまくりだった。

そして、その日も夕方になった。
「もう、夕方だね」
あたしと衛くんは、刀器を持ちながら、ペンギン公園を通りかかった。

きょうのイベントがそろそろ終わりになるというとき、パパたちは
「俺は基金の理事だからな。さくらといっしょに打ち上げのパーティに出なければいけないんだ。
あまり遅くならないはずだが、すみれたちは先に帰ってくれないか?」
「うん、わかったよ。パパ」
張教授も
「私もそのパーティに招待されているから・・・エドワードも先に帰ってね」
「うん、おばあちゃん」

「じゃ、龍平もいっしょに帰ろうか」
あたしが龍平に向かって言うと、知美ちゃんが
「龍くんは、きょうのビデオの編集をお手伝いしていただくんです」
「えっ?」
龍平は、ちょっと驚いていた。そんなことは聞いていなかったようだ。すると、知美ちゃんは
龍平に小声で何か言って、
「ですから、龍くんは私といっしょに」
「う、うん」
龍平がぎこちなくうなずくと、知美ちゃんは、
「ですから、すみれちゃんと龍くんはおふたりで帰ってください」
と言って、にっこりと笑った。

(ひょっとしたら・・・知美ちゃん、気をきかせてくれたつもりなんだろうか・・・)

と、考えてみたけれど、ふたりで帰るからといって、急になにか特別なことが起こるわけでもない。
あたしと衛くんは、いつもと同じようなとりとめのない会話をしながらペンギン大王の前を
通り過ぎようとした。

「・・・!」

あたしたちは、急に気配を感じて立ち止まった。
「衛くん?」
衛くんはうなずいて、
「うん、闘気を感じる」
あたしもうなずいた。けれども、あたしが感じたのは闘気だけじゃなかった。

(これは・・・クロウ・カードの気配だ!)

あたしたちが身構えると、木の陰から、格闘ゲームのようなコスチュームを着た女の人が現れた。
その姿は、知世おばさんが撮ったビデオで見たことがある。

(あれは、ファイトのカードだ!)

あたしたちが驚いていると、ファイトのカードはあたしたちに向かって歩くのをやめて、
両手を合わせて軽い掌礼をした。それにつられて、あたしも思わず返礼する。次の瞬間、

「!!!」

ファイトのカードは、あたしのすぐそばまで移動した。あたしの方が背が低いのに、それでも
おそろしく低い位置から、拳があたしに向かって突き出される。

「キャーーァァアア!!」

刀器を構えても、化勁が間に合わない。刀器に拳を受けて、あたしのからだは刀器といっしょに
はじき飛ばされた。

「木之本さん!」


(だめ・・・!)

空中でバランスをくずして、受け身を取れない。すっ、と衛くんの顔があたしの目の前に現れた。

「あや?」

衛くんが、空中で、あたしを抱きとめて・・・そのまま着地。
そしたら、あたし、衛くんに、お姫さまだっこされていた!

「ほ、ほぇーーーーーーーーーー!!!」

あたしの悲鳴で、衛くんの目は×になった。

「お、下ろしてくれない?」
「う、うん」

耳がギンギンになりながら、衛くんはあたしのからだを下ろしてくれる。

「あ、ありがとう。ごめん。せっかく、助けてくれたのに、変な声出しちゃって」
「う、うん。いいんだ」

あたしが衛くんから離れると、衛くんは、ファイトのカードを見た。

ザッ

衛くんが構えると、ファイトも同じように構えた。ふたりの間に闘気が高まって、

「ハァアアッ!」

「・・・すごい」

衛くんとファイトは、もう四十合も戦っていた。ふたりの技もスピードもほとんど互角だ。
けれども、からだの小さい衛くんの方が不利だった。リーチの差だけ、攻撃が決まりにくい。

「っうっ!」

とうとう、衛くんがファイトの攻撃をまともに受けてしまい、

ズザーッ!

地面に倒れこんだ。衛くんは、小さくうめいて動かなくなった。

「衛くん!」

あたしは駆け寄った。急いで、衛くんの首筋に手をあてる。

・・・脈はある。

そして、口元に手をかざす。

・・・息もしてる。

気を失っているだけのようだ。

ファイトのカードは、衛くんに勝ったのを確認すると、あたしたちに背を向けて歩き出した。
どうしよう。このままじゃ、ファイトがどこかに行ってしまう!

そのとき、あたしは足元の落ちていた、刀器に気がついた。思わず、それに手を伸ばす。
そして、パパとの約束を思い出した。

『これだけは、絶対約束してくれ。俺が見ていないところでは、絶対に刀器を使わないこと』

でもそれじゃ、あたしの拳法だけじゃ、衛くんをひどいめにあわせたカードが、どこかに行っちゃうのを
止められない。

「そんなの・・・やだ」

それに、あたし、カードキャプターなんだ。
だから、だから、ファイトに勝って封印しなくちゃいけないんだ。

「パパ、ごめんなさい」

あたしは、パパに謝ると、刀器を手に取って、カバーをはずした。
そして刀器を中段に構えると、ファイトに向かって叫んだ。

「待って!」

ファイトは、あたしの方を見る。

「あたしと・・・もう一度勝負して!」

ファイトは、なぜか悲しそうに、小さくうなずいた。

「ハァッ!」

気合とともに、ファイトはハイジャンプをした。そして、そのまま上空からあたしにめがけてキック。
あたしは、刀器を横に構えて勁を流しこむ。

「・・・抜草尋蛇!」

同時に、ファイトのキックが刀器を直撃した。

「・・・くっ!」

化勁でかわしきれない分、腕から足にかけて痛みが走った。あたしの足が地面にめりこんだ。

「ッハァッ!」

ファイトは一撃で刀器を壊せないとわかると、反動を利用してバックジャンプ。
着地すると、次の瞬間にもう一度ハイジャンプをして、刀器をめがけてキックしてきた。
力ずくで押し切る気だ。もう一度、

「抜草尋蛇!」

キックを刀器に受けた瞬間、今度は、からだを流してファイトの力を少しでもかわそうとした。
ファイトも、あたしの動きを利用して、あたしの後ろをとろうと、刀器を蹴って、あたしの右に
ジャンプした。そのとき、ファイトの脇腹があいた。今だ。

「云頂横掃刀!」

ファイトの脇腹めがけて、あたしは全力で刀器をなぎ払った。

「グハッ!」

一撃を受けて、体勢をくずしたファイトに、あたしはからだを一回転させて遠心力でニ撃めを打ちこんだ。

「回頭望月!」

「ウッ!」

あっけなく二撃めが決まって、ファイトが地面に倒れこむ。あたしは杭を打つように刀器を両手で持つと
思いっきり振り下ろした。

「提膝亮刀・・・!?」

刀器が止まる。三撃めを寸止めして、あたしは刀器を戻した。

「ど、どうしたの?」

ファイトは、なにも答えずに、地面の上で仰向けになった。

「急に気配が弱くなっている。ひょっとして・・・もう、魔力が残っていないんじゃ・・・?」

ファイトは、弱々しくうなずいた。

「それで、あたしの技が急に決まるようになったんだね」

ファイトは、またうなずいた。

「オ前ガ、ウラヤマシイ」
「ほぇ?」
「誰カヲ守ルタメニ、何カヲ成シ遂ゲルタメニ戦ウ、オ前ガ、ウラヤマシイ」
「ちょ、ちょっと、とつぜん、なにを言っているの?」
「私ハ、かーどダ。コレマデ、多クノ主(あるじ)ニ仕エテキタ。私ハ、主ノ命ニ従イ、
誰カヲ傷ツケルタメ、何カヲ壊スタメニ戦ッテキタ」
「・・・」
「ダカラ、最後ノ主ガ亡クナッタ時ニ、私ハ決メタ。残サレタ魔力ガ続ク限リ、タダ戦オウ。
傷ツケルタメデモナイ、壊スタメデモナイ戦イヲ、シヨウ」
「・・・そんな」
「ソシテ、戦ッテ、戦ッタノダ」
「ちょっと待って。あなた、クロウ・カードでしょう?」
ファイトさんは、びっくりしたように、あたしを見直した。
「だったら、思い出して。確かに、あなたにひどい戦いをさせた主さんもいたかもしれない。
でもでも、あなたを作ったクロウさんはどうだった?クロウさんは、あなたに、人を傷つけたり、
何かを壊すようなことをさせた?」
「・・・」
ファイトさんは目を閉じた。そして、その目から涙が流れ出した。
「・・・思イ出シタ・・・ソウダ。くろうハ、ソノヨウナ事ヲ、シナカッタ。ソレニ、オ前ハ、くろうニ
似テイル。魔力ノ波動ガ、くろうニ、似テイル」
「クロウさんは、あたしの、ご先祖さまだから」
「・・・ソウカ・・・懐カシイ・・・ソレニ、オ前ノ波動ハ、トテモ暖カイ」
「ファイトさん」
「ナンダ?」
「こんどは、あたしがファイトさんの主になってあげる。そうしたら、もう二度とファイトさんに
ひどいことにさせない。約束するよ」

けれども、ファイトさんは、あたしのことばを聞いて、とても悲しそうな顔をした。
「・・・ソレハ、ダメダ」
「どうして?封印すれば、あたしが主になれば、だいじょうぶだよ」
「知ラナイノカ?私ノ魔力ハ、モウ、ホトンド残ッテイナイ。封印スルニハ、アル程度ノ魔力ガ、
かーどニ残ッテイナケレバナラナイノダ」

そう言い終えた、ファイトさんのからだが、ところどころ透明になった。そして、その透明な部分が
どんどん広がっていく。

「ファイトさん!」

あたしは、フラワーのカードさんを封印したときの、ユエさんとの会話を思い出した。

<回想シーン:「すみれと花に込められた想い」より>
「このカードは、魔力が足りなくて消えかけている」
「だから、封印すれば元気になるって、ケロちゃんが言ってました」
「もう手後れだ。これだけ弱っていては、封印の衝撃に耐えられずに、ただのカードになってしまうぞ」
</回想シーン終わり>

「そんなの、だめ、だめだよ!」

あたしの足元に、魔方陣が現れた。

「封印解除(レリーズ)!」

あたしは、封印の杖を手にすると、

「汝のあるべき姿に戻れ、クロウ・カード!」

「・・・スマナイ」

ファイトさんはそうつぶやいて、封印の杖から伸びた光に包まれた。
そして、シューっという音とがして、光が消えると、

ぺたり

あたしの足元に、カードが落ちた。

「ファイトさん!」

あたしは、あわててファイトのカードさんを手にした・・・

「!」

いままでのカードさんとぜんぜん違う。カードにうっすらと模様が描かれているけれど、
何が描いてあるのかよくわからない。なにか絵の具がうすく塗ってあるような感じだ。

「ファイトさん!」

あたしは、ファイトのカードさんをほおにあてた。けれど、ほかのカードさんのような力が
伝わってこない。これって、ひょっとして封印できなかった・・・?

「そんな・・・じゃ・・・ファイトさんは・・・消えちゃったの・・・?」

あたしは、ファイトさんを胸に抱きしめて、立ちつくした。

「エドワード?」

そのとき、急に人の声がした。張(チャン)教授だ。あたしは、あわててファイトのカードさんと
封印の杖をしまった。

「どうしたの、エドワード!?」

張教授は、倒れている衛くんのそばに駆けよった。

「あ、あの、小見先生を倒した格闘家に戦いを挑まれたんです。それで、衛くんが戦ってくれて・・・」
「まぁ。木之本さんは、だいじょうぶですか」
「だいじょうぶです。衛くんが助けてくれたから・・・けど、衛くんが・・・」

「うう・・・」

そのとき、衛くんがうめいた。

「衛くん?」
「エドワード、だいじょうぶですか?」
「チャ・・・おばあちゃん、どうしてここに?」
「あなたの気配が急に消えたから・・・ううん、あなたが忘れ物をしていたから、途中でパーティを
抜け出して来たのよ」
「・・・思い出した。戦っていて・・・木之本さん、あの」
「あの格闘家ね。衛くんに勝って、気がすんじゃったみたいで、どっかに行っちゃった。
あたし、弱すぎるから、相手にされなかったみたい」

あたしは、とっさにうそをついた。カードのことを衛くんに話すわけにはいかない。
そんなあたしを、衛くんはしばらく見つめていた。

「木之本さん、念のため、エドワードを病院に連れて行こうと思います。木之本さんは、もう、
おうちに帰ってもよろしいですよ」
「そんな、じゃ、病院までいっしょに」
「エドワードのことでしたら、私がついています。木之本さんのご両親には、私からも電話して
おきますから」
「は、はい」

少し強引な、張教授のことばに、あたしは、「はい」と答えるしかなかった。

「じゃ、あたし、帰るから。衛くん、ほんとうにありがとう」
「う、うん」
「失礼します」

あたしは、ふたりにペコリと頭をさげると、おうちに向かって走り出した。
走りながら、ポケットの中のファイトさんを確かめる。何回も確かめる。

・・・

いつのまにか、涙で前がよく見えなくなった。


それからしばらくして、エドワードの部屋での会話

「お医者さまはたいしたことはない、とおっしゃっていましたが、大事をとって、きょうは、
おとなしくしていてください」
「・・・ああ」
ベッドに横たわるエドワードは、祖母ということになっている存在に、くやしそうな口調で答えた。
「やっぱり、木之本さんは、ファイトを封印できなかったんだろうか」
「・・・そうだと思います。私が公園に着いたとき、カードの気配は途切れそうでしたから」
「ぼくの失敗だ。ファイトにやられて、ほんとうに気を失ってしまうなんて」
「しかたありませんわ。エドワードがファイトに負けるなんて、予想できる人はいません。
それに、すみれさんが見ている前で、魔力を使うわけにはいきませんし」

実は、エドワードは、ファイトとの戦いで、負けたふり、気を失ったふりをするつもりだったのだ。

『ファイトの魔力はもう残り少ない。ぼくが最初に戦って、木之本さんが封印できる程度に魔力を削り、
適当なところで気を失ったふりをして、木之本さんのようすを見よう。木之本さんがうまく封印
できないときは、気付かれないようにぼくの魔力で助けよう』

・・・それが、エドワードの思惑だった。だが、残り少ない魔力で、すべてを戦いに打ち込んだ
ファイトの力が、一時的ではあっても、エドワードの力を超えてしまったのだ。

「あまり気を落とさないでください。クロウ・カードが封印されず、消えてしまうということは、
ゴールデン・ドーンにとって、けっして悪いことではないのですから」
「うるさいっ!」
珍しく声を荒げて、エドワードはふとんの中にもぐりこんだ。そして、ふとんの中でつぶやいた。
「木之本さん、今ごろは・・・」


「汝のあるべき姿に戻れ!クロウ・カード!」

あたしは封印の杖を振り下ろした。そして、その杖の先には、ファイトのカードさんがいる。
けれど、なにも起こらない。あたしは、封印の杖を振り上げて、そしてもう一度、

「汝のあるべき姿に戻れ!クロウ・カード!」

今度も、なにも起こらない。あたしはとうとう泣き出してしまった。

もう、何回繰り返したんだろう。おうちに帰ってから、あたしは、ファイトさんを封印しようとした。
このままでは、ファイトさんが消えてしまう、それだけはどうしてもいやだ。封印できれば、
ファイトさんは消えずにすむんだ。ただだだ、それだけを考えて、何十回、何百回と・・・

「・・・あれ?」

とつぜん、あたしのひざが、がくん、と落ちた。そして、さっきからの泣き声が止まらない。

だめだよ。泣いている時間があるんだったら、もう一度、封印しなくちゃ。さぁ、もう一度。

そう思っても、立てない。あたしの、杖を持つ手がぶるぶるとふるえて、止まらない。

「・・・すみれちゃん」

そのとき、声がした。声がした方を見ると、

「ママ!」

あたしは、ママに抱きしめられた。

帰宅したすみれがリビングで封印を始めたのを、最初に気がついたのはケルベロスだった。

「すみれ、なにがあったんや?」

なにが起こったのか聞こうとしても、とても聞くに聞けない状態だった。事情はわからなかったが、
すみれがクロウ・カードの封印に失敗したことがわかると、ケルベロスはすぐにさくらたちに連絡した。
そして、急いで帰宅したさくらたちが見たのは、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ファイトの封印を
繰り返す、すみれの姿だったのだ。

「なんども・・・なんども・・・封印しようと・・・したんだよ・・・でも・・・でも・・・
ファイトさんが・・・ファイトさんが消えちゃう・・・そんなのいやだ・・・いやだよぉ・・・」

今、すみれはさくらの胸で泣きじゃくっている。

小狼と龍平、そしてケルベロスは、そんなふたりを見守ることしかできない。
「パパやママの魔法で、おねえちゃんを助けられないの?」
龍平の質問に対して、小狼は首を横に振った。
「残念だが、さくらも、俺も、あそこまで魔力が弱くなったカードは、どうすることもできないんだ」
「そんな・・・じゃ、ケロちゃん、助けてよ。ケロちゃんは、カードの守護獣なんでしょ!」
ケルベロスは、うつむいたまま答えた。
「龍平・・・どんなことでも魔法の力で解決できたらええんやけどな・・・カードでも魔法でも
できんことはあるんや・・・」
「・・・そんな。そんなのだめだよ。おねえちゃんが泣いているんだ。あんなにがんばって、
カードを集めてきたおねえちゃんが、泣いているんだよ。だから、どうにかしなくちゃ。
どうにかしなくちゃ、いけないんだ」

龍平もまた、泣き出しそうになっていた。

<すみれと封印できないカード:終劇> 

参考文献

「僑郷開平閥氏刀法」 中国開平市郵政局発行

李家刀法の技名は、これから借用しています。
中国語はわからないので、細かい突っ込みは勘弁してください。


次回予告

特別編 

これは、まだ、チュルミンがすみれに出会う前の物語

「こんばんは。ミラーさん」
「なんや、ゆーぼー?せっかくのクリスマス・イブなのに」

ここは、なにわシティのとあるマンションにある、小さな探偵オフィス
持ち込まれるのは、人知を超えた不思議な事件

「これが、人外のしわざと言うわけか・・・そんなら、うちの出番やな」

そしてミラーに従う、なにわの精霊、食い倒れのあんちゃん
「あねさん、ひっかりました。わいの人外探知網に」
「ほんまか?見つかったか?」

もうひとりの精霊、1粒300メートル
「300メートル!ゆーぼーをこっちに!」
「はい!ミラーさん!」

ギゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・

「なんや、この魔力波は?」
「ミラーさん、これは、ひょっとして?」
「あかん!このままやと、大変なことになる!」


もたらされし力は、ゴールデンドーンの魔法

「ファシリテータ!」
¶「As you wish」

強く支えるのは、クロウ・リードの想い

「あんたも、わかっとるんやろ?クロウはんは、そんなことのためにあんたを作ったわけやない。
だから、もうやめるんや」

そしてミラーに、なにわシティに訪れる危機

「どうしたんや、ファシリテータ!?」
¶「Arcanum finished up」
「なんやて!?」

ギゴゴゴゴゴゴ・・・

「このままやと、なにわシティがーーーーーーーーっ!!」

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