第1話  

無題(さくらと小狼の子供たちと不思議なこと)


「ただいまぁ」
元気な声が玄関に響いた。少女は靴を玄関に脱ぎ捨ててそのまま台所に向かう。
台所では母がケーキを作っている。
もう30歳を過ぎているというのに、母は子供の頃の癖がいっこうに抜けない。

「ほえ〜っ!! すみれちゃん! おうちでばたばたしちゃダメだよ〜!」

少女はちょっとすまなさそうな顔をして
「ママ、ごめんね!」
と言いながらゆっくりと母のそばに近づいた。
そして母の隙を見て、ケーキの上に乗っているいちごをひょいとつまんでまた外に駆けだした。

「こら〜! すみれちゃ〜ん! そんなことしちゃダメでしょ〜!」

少女は母の声を後ろに聞きながら玄関に行き、靴を拾い上げた。
靴を履いているとちょうどそこに弟が帰ってきた。

弟は今日もいじめられたらしい。服が泥だらけになって、顔も少し腫れている。

「龍平、あんたまたいじめられたの? 誰よ、いったい!
おねえちゃんがやっつけてやるから!」

少年はか細い声でつぶやいた。
「ううん、いじめられたんじゃないんだ。階段からちょっと滑っただけだよ」
そう言って姉の横をすり抜けるように玄関に上がった。

少年は理解っていた。ここで正直にいじめられていたというと姉がまたいじめっ子たちと大げんかするし、そうしたらまた自分がいじめられる。
いじめられるのは情けないしくやしいけど、姉のようにけんかっ早くはない。
叔父のように身体も大きくないし、父のように勇敢でもない。
ただ、母のように優しいのが少年の特徴だった。

少年は外見も母に似ていた。姉とは二卵性の双子だが、姉はむしろ父に似ている。
そして性格もそっくりそのまま、父に似てけんかっ早い姉と、母に似て優しい弟であった。

少年は自分の部屋に入ると、かばんを机の上に置いてベッドの上に座り込んだ。
泥だらけの服を脱ぎ、新しいシャツに着替え、階下に降りてシャワーを浴びに行った。
シャワーを浴びて泥を落とす。そのとき彼は今日会ったことを思い出し、
悔しくて涙が出てきた。
その涙はシャワーの水とともに流されてゆく。

浴室から出ると、ちょうど母がケーキを作りおえたところだった。
母は少年に向かってにっこりほほえみかけた。

「龍くん、おかえり! 今日はいちごのケーキだよ!」

こういうときの母の表情はとてもすてきだ。きっと父も、こういう表情のできる母が好きで結婚したのだろう。

母と二人でおやつを食べる。二人ともおっとりとした性格なので、ぼんやりしたまま何も話さずにケーキを食べる。
むしろ、そういう方がケーキのおいしさがより分かるような気もする。

少年は母を見ていた。
自分の顔が少し腫れているのは母も気づいているはずだ。それなのに、母は何も言わない。きっと内心では心配しているのだろうが、息子の気持ちを思いやっているのだろう。
少年は母には全部話したい気持ちになった。

「今日もまたあいつらにやられちゃったんだ… ほら、それでここ、腫れちゃったんだ」

少年は自分の頬の上の方を指さして悲しそうに言った。
母は少し悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って言った。

「うん、龍くんはがまんしたんだね。えらい!! そう、きっとよくなるよ。
ぜったい大丈夫だよ!!」

母もきっと、何がよくなって、何が大丈夫なのか、自分でもよく分かっていなかったのだろう。
しかし、これが母の口癖なのだ。なんでも大丈夫と言ってしまう。
少年は母のいつもの口癖を聞くと笑いがこみ上げてきた。
彼がくすくす笑い出すと、母も一緒にくすくすし始め、少年を抱きしめた。
「そう、ぜったい大丈夫だよ…」

あたしはいちごを食べながら玄関に向かった。
ちょうどそこに弟が帰ってきた。またいじめられたみたい。
なんかしょんぼりして、かなしそうな顔つきをしている。
服には泥が付き、目の下は少し腫れて赤くなっている。
そういう弟の顔を見ると、怒りがこみ上げてきた。
それと同時に、男のくせにふがいない弟にも腹が立ってきた。

「龍平、あんたまたいじめられたの? 誰よ、いったい!
おねえちゃんがやっつけてやるから!」

弟はなんだか聞き取れないくらいにか細い声でつぶやいた。

「ううん、いじめられたんじゃないんだ。階段からちょっと滑っただけだよ」

弟はそう言うけど、あたしはそんなの信じちゃいない。またあいつらだ。
弟はかわいいからって、女の子みたいだからっていじめられている。いじめているのはクラスの悪ガキ3人組だ。
そりゃ確かに姉のあたしから見ても、うちの弟はかわいい。
ママの子供の頃にそっくりだ。


うちのママには、子供の頃の記録がなぜか山のようにあり、いまだにあたしたちも全部見尽くせないほどだ。
ママの親友の知世おばさんがビデオテープにたくさん撮っていて、あたしたちによく見せてくれる。
ママは恥ずかしいから見ないようにって言うんだけど、こっそり知世おばさんちに行って見せてもらう。

そこに写っているママはへんてこりんな服(なんでも知世おばさんのオリジナルだそうだ)を着て、恐い怪獣みたいなのと戦っている。
けど、最後にはその怪獣を封じ込めてしまう。封じ込められた怪獣は少し大きめのカードになる。
そして、ビデオの中のママは弟の龍平にそっくりだ。

ママはいい匂いがする。
こうやって抱きしめられていると、そのいい匂いで気持ちよくなってくる。
いったい、なんの匂いだろう? シャンプーとか石けんの匂いかもしれない。
けど、僕はそれだけじゃないと思う。
ママは毎日お風呂に入ってるけど、お風呂に入らなくたって、きっとこの匂いのままだと思う。
この匂いは僕をいい気持ちにさせ、イヤなことがあってもすぐに直ってしまう。

これはママの魔法の匂いなんだ。


すみれは玄関を出て、玄関先においてあったセグウェイに足を乗せた。
発表当時は「ジンジャー」と呼ばれ、世紀の大発明とまで言われたセグウェイも
現在では子供向けの製品まで出ている。
彼女は自分用のセグウェイを今年のお年玉で買ってもらったのだ。

セグウェイに乗りながら、彼女はさっきつまんだいちごをほおばっていた。
今日は父が日本に帰国する日だ。だから祖父のうちにいけばひょっとしたら
父がいるかもしれない。

祖父の家は、彼女のうちとおなじ友枝町にある。祖父は考古学教授として、しょっちゅうどこかに出かけている。
ただ、祖父と同居している叔父が最近、大学で助教授に昇進し、そのお祝いをするということで、今日は祖父のうちにみんな集まることになっている。
それで彼女は一足早く祖父のうちに向かっているのだ。

途中で知美(仮名)に出会った。知世おばさんの子どもで、すみれたちと同い年だ。
彼女もきっと、祖父のうちに行くのだろう。
「あ、知美ちゃん。後ろに乗る?」
もちろん、セグウェイの二人乗りは禁止だ。
知美はほほえんで答えた。
「すみれちゃん、二人乗りはいけませんわ。わたしはゆっくり歩いていきますから、
すみれちゃんはどうぞお先に木之本のおじいさま宅へ」

けど、そう言われてはいそうねと言えるわけもない。
「え、いいよぉ。あたしもこれ、押していくから。一緒に歩いて行こ」

二人は並んで歩き始めた。

「今日もさ、龍平がまたいじめられてたみたいなんだけど…」
「そりゃあ龍くんは超絶かわいいですもの〜!!」
なんだかどこかで聞いたことのある口癖だ。親子なんだな〜と思うが、彼女は口に出さない。

「やっぱりあいつら?」
「さあ、わたしもそこまでは… 違うクラスですし。けど、おそらくそうでしょうね」

「なんでけんかも弱いうちの弟をああやっていじめるんだろう? 男のくせにさ」
「やっぱり、龍くんが女の子に人気あるからやきもち焼いてるんじゃないでしょうか?」
「う〜ん、確かにあの子は異様に女子うけがいいからなぁ」

彼女は以前あった体育の授業のことを思い出していた。

すみれと龍平はいまでは違うクラスになっているが、去年4年生のときまでは同じクラスだった。

その日の体育の授業では、100メートル走をおこなった。
もちろん、足の速い者に対してはクラスの女子がはやし立てて声援してくれる。
足の遅い者は当然ブーイングだ。
ところが、クラスでも1・2を争うほど足の遅い龍平が計ったときには、ブーイングはいっさい起こらなかった。
それどころか「龍くんかわいい〜!」とまで言われる始末だ。

まじめでおとなしい龍平はクラスの女子の間でもミニアイドル化している。
「木之本」と苗字で呼ばれずに「龍くん」と呼ばれる男子はクラスで彼一人だ。

そういうところが意地悪な男子の反感を買っているのかもしれない。

すみれたちは木之本家に着くと、乗ってきたセグウェイを玄関先に停め、チャイムを押した。するとすぐに家の奥から「おはいりなさい」と声が聞こえた。祖父の声だ。
すみれと知美(=園美+知世÷2)は靴を脱いで廊下にあがり、少し先にある居間に入った。

父がいた。
父の姿を見るやいなや、すみれはウサギのように飛び跳ねて父に抱きついた。
「パパ! おかえりなさい!」

父はほっそりとした体つきだが、すみれに飛びつかれたくらいではぐらつかない。
父はにっこり笑いながらすみれに答えた。
「ただいま、すみれ」
そのあとこっそりとすみれの耳元にささやいた。
「連れてきたよ。いま、地下室にいるから」

父のささやきを聞くと、すみれはますますうれしそうに父の首もとをぎゅっと
抱きしめ、そのあと父から離れて知美のそばに戻った。
知美はその間、父娘の再会をにっこりと見つめていた。

「叔父さんは?」
すみれは祖父に尋ねた。
「まだ大学から帰ってないけど、もうじき戻りますよ」

とそのときちょうど、ドアの開く音がした。
叔父が帰ってきたのだ。
どたどたと大きな足音が近づいてきたかと思うと、すぐに大きな叔父の姿が
居間に現れた。身長190cmはある。
「叔父さん、おかえりなさい!」

叔父はすみれの顔を見るや、
「よぉ、ひさしぶりだなぁ ちょっとは大きくなったか?」
と言ってきた。
すみれはうれしそうに叔父を見つめ、
「うん。こないだ身体検査があってね、また背、伸びたよ」

「おお、こりゃすごいな。そのうち俺まで身長抜かれちまいそうだな」
と叔父は笑って答えた。

そのあとみんなでわいわいにぎやかにしゃべっていると、またドアが開く音がした。
母と龍平がやってきたのだ。
どすどすと怪獣のような大きな音を出していた叔父とは違い、ぱたぱたと音が近づいてくる。

母が居間に入ってきた。父と目が合った。

「おかえりなさい! 小狼くん!」
母はそう言って、父に抱きついた。
父は明らかにうろたえ、顔を真っ赤にして母を引き離そうとしたが、
母はしっかりと父に抱きついて離れない。
「おい、い、いいかげんその呼び方はよせ」

しかし、母はきょとんと不思議そうな顔をして父に問いかける。
「ほぇ? だって小狼くんは小狼くんだよ」

そうやって抱き合っている両親の姿は見慣れたものなのか、
「ねぇ、しゃ・お・らん・くん、お願いがあるんだけどぉ」
すみれが父に甘ったるい声でおねだりしはじめた。

「す、すみれ、汚いぞ」
父はさっきまでの落ち着きはどこへやら、娘のからかいにもうろたえ、
顔を真っ赤にしてしどろもどろだ。
「わ、わかった。今度教えてやるから。今日はかんべんしてくれ」

すみれはその返事を聞くと満足そうに顔をほころばせ、今度は父の声色を使って母に言った。
「ほら、さくら。もういいからやめろよ」

父に抱きついていた母も娘の声色を聞いてさすがにはっとして父から離れ、二人とも顔が真っ赤になってしまった。
しかし、このうちではこの夫婦のこのような行為はいつものことである。
その場ではからかうが、いつまでもからかい続けるようなものではない。

叔父さんはすごい人だ。
背が高くてハンサムで、しかもあの若さで大学助教授だ。
僕のパパと比べてもひけをとらない。
けど、一つだけ欠点がある。
ちょっといじわるなところがあるんだ。

今日は叔父さんの助教授昇進のお祝いで、祖父のうちに集まった。
叔父さんはかなりのスピード出世で、なんか難しい学問をしている。
学会でも評価されているらしい。

少し酔った園美大叔母さんが叔父におせっかいをはじめた。
「あんたも助教授になったんだから、いい加減結婚なさいよ。
一日中研究室に閉じこもって女性との出会いもないんでしょう?
そんな生活続けてるからいい年齢(とし)になっても結婚できないのよ」

叔父は少しクスッと笑って、ソファの隣に座っていた姉の頭をポンポンとたたいて言った。
「いや〜、たしかに研究室に閉じこもってるし、女性との出会いもない生活ですよねぇ。
けど、そうなったら、すみれを嫁にもらいますよ。
な、すみれ、叔父さんのお嫁さんになってくれるよな?」

こういう叔父さんだ。
それまでうるさいくらいににぎやかだった姉は、叔父のその言葉を聞くや顔を真っ赤にしてうつむいて黙り込んでしまった。
みんな姉の気持ちは分かっている。叔父もそれは分かっている。

叔父さんはちょっといじわるだ。
そこだけがうちのパパより悪いけど、それ以外はとてもすばらしい人で、僕のあこがれだ。

すみれは知美と龍平を連れて地下室に行った。
このうちにはなぜか地下室があり、そこは祖父の書庫になっている。
あまり遊び道具のない祖父のうちで、子供たちが探検ごっこのできる場所として地下室は人気があった。

すみれが地下室のドアを開けると、電気はついておらずまっくらだった。
彼女が部屋の電気をつける。
「よぉ、ひさしぶり〜〜!!」
関西弁のイントネーションが聞こえてきた。
「ケロちゃんだ!」
一緒にいた龍平がうれしそうに叫んだ。
知美もにっこりしながら、
「おひさしぶりですわ。ケロちゃんさん」

そこには黄色い小さなぬいぐるみが、羽根をふるわせて宙に浮かんでいた。

「ほんまにおまえらおおきなったなぁ…
おまえらが赤んぼのころなんて、ワイはえらい目にあったもんやで。
なにせおまえらワイの耳とかしっぽ、羽根まで引っこぬこうとするもんなぁ
来るなっちゅうてもおまえらワイのあと追っかけ回して…」

すみれがにっこり笑って言った。
「まあ、小さな赤ん坊のすることなんだし。悪気はなかったのよ。ごめんね」


祖父のうちには雪兎おじさんも来ていた。
雪兎おじさんは大学ではまだ専任講師だけど、近いうちに桃矢叔父さんとおなじ助教授になる。
僕は雪兎おじさんが好きだ。
もちろん桃矢叔父さんも好きだけど、雪兎おじさんはとてもやさしいし、なによりもいじわるじゃない。

「で、教授就任論文の件なんだが…」
叔父さんが話し始めた。
園美大叔母さんは
「なぁに? あんたもう教授になるつもりなの? 」
とあきれたように言った。

叔父さんは僕のとなりに座っている雪兎おじさんの方をちらっと見た。
「雪のヤツと共同でしようと考えてる。
こないだ雪が紀要に発表したクレタ線文字Aの解読試論を読んだんだが、
どうやら線文字A文書の中にはアガメムノーン伝説群が含まれている可能性があるらしい。
で、これはかなりおもしろいテーマになると直感したんだ。
しかもクレタ文明はトロイアと同じくアカイア人に滅ぼされてる。
クレタ版イーリアスのような叙事詩が残されている可能性だってあるわけだ。

そもそも俺の専攻してる神話学ってのは、現存の諸民族の神話の比較対照ばかりしてるわけだが、
滅亡してもはや存在しない民族の神話に、現在世界でもっともポピュラーな神話群がそのルーツを求めることができるかもしれない。
これってすごくおもしろいことじゃないか?
ストロースやデュメジルの研究を訳すだけが神話学じゃない。
とりあえず、イーピゲネイア伝承についてから研究をはじめてみようと考えてる」

祖父がほほえんだ。
「では、言語学と神話学の幸せな結婚から、木之本教授が誕生するというわけですね?」

叔父さんたちが何を言っているのか、僕にはさっぱりわからない。
隣で聞いてた姉も僕同様にさっぱりらしく、ぽかんとしていた。
けど、雪兎おじさんと共同研究するってことを聞いたときはビクッとした。

やっぱり、「噂」があるからなぁ…
よりによって雪兎おじさんと共同研究なんて、お姉ちゃんにいじわるしてるとしか思えない。
けど、桃矢叔父さんと雪兎おじさんは、いまじゃT大文学部の若手二枚看板なわけだし、二人の関係は学問上でのことだけだよ。きっと。

僕は雪兎叔父さんが好きだ。
けど、弟として、こういうときやっぱり僕は姉の味方をすべきなんだろうなぁ。

翌日、すみれは龍平を連れて近くの公園に出かけた。
しかし、龍平はしょんぼりしている。
彼の嫌いな剣術の練習なのだ。

父は香港の李一族の正式後継者だ。妻は日本人だが、この時代の法律では二重姓が認められ、妻と子供たちは「李‐木之本」という姓を名乗っている。
つまりこの一家には、日本においては木之本、香港においては李という二つの苗字があるのだ。
香港では木之本すみれは「李 桜狼」、木之本龍平は「李 小零」という名前を持つ。

そして父も、二つの生活をこなし、毎週のように香港と日本とを往復している。
香港では李一族の若き総帥、日本では木ノ本家の父親を務めている。
普通では耐えられないほどハードな生活だが、彼は一族のために香港に単身帰国したり、妻子のために日本に永住したりするまねはしなかった。
彼にとっては、一族に対する義務と、妻子に対する愛情とは両立すべきものだった。

父はその李一族に伝わる剣術の達人であった。
おそらく、世界でも有数の剣の使い手である。

そのような人物を父に持つすみれは、いずれ自分も世界一の剣士になりたいと願い、以前から父に剣術の手ほどきを求めていたが、父は危ないからと言ってどうしても教えようとしなかった。
それが先日のハプニングのどさくさで、父から「(剣術を)教える」という返事を引き出すことに成功した。
そこで今日は父の特訓に先立ち、自分たちだけで見よう見まねの剣術の練習を始めることにしたのだ。

すみれは元気よく弟に話しかけた。
「さあ、龍平! あんたもこれで強くなって、あいつらなんて一発でやっつけちゃえるからね」

弟は悲しそうな顔をして黙りこくっていた。彼は自分がいじめられてつらい思いをしているのだ。
そんな彼がどうしていじめっ子といえども人に痛い目に遭わせることができるのだろうか?

姉はそんな弟の気持ちなどおかまいなく、ビニール製の剣で弟をたたき始めた。
「さぁさぁ、龍平もたたき返しておいで!」
しかし、少年は姉にたたかれるまま、いっさい反撃しなかった。

しばらく弟をたたき続けたすみれは、いったん攻撃の手を休めた。
そのとき、弟が小さな声でつぶやいた。
「もうやめようよ。お姉ちゃん…」

姉は弟の言葉をきいて、しばらくじっと立ち尽くした。少しもの想いにふけっていた。
しばらくして、手にした剣を下に垂らしたまま、弟に言った。
「そだね、もう、やめよっか。もうじきごはんだし、うちに帰る?」
弟は姉の言葉を聞いて、にっこり笑った。
二人ともそれ以上一言も話さなかったが、お互いに理解っていた。

姉弟はゆっくりと家路についた。手をつなぎ、姉は弟に引っ張られるようにして帰っていった。
夏が近づき、夕方でもややむしばむほどだったが、外はもう真っ暗になっていた。

その日以降、もはやすみれが父に剣術のことをたずねることも、いじめっ子たち相手にけんかすることもなくなった。

その日、龍平は学校を休んだ。朝から顔色が蒼白く、起きあがれなかった。
すみれは一人で学校に行った。彼女がお昼過ぎに帰宅すると、龍平は庭で横になっていた。
庭には小さな長いすがおいてあり、そこにシーツを敷いて龍平はその上に寝ていた。
すみれは龍平のそばの折りたたみいすに座り、たわいないおしゃべりをしていた。
しかし、なぜか龍平の顔色が悪いのがかなり気になっていた。

通りかかった母も龍平の顔色が透きとおって見えるほど異様に青白いことに気づいて、
「まだ具合悪いの?」と尋ねた。
すると、シーツの向こうはじを持った龍平は、微笑を浮かべて答えた。
「ううん、その反対だよ。こんなに気分のいいのは初めて」
龍平がそう言ったとたんに、母は光をはらんだ弱々しい風がその手から
シーツを奪って、いっぱいにひろげるのを見た。

龍平の身体は真っ白いシーツに覆われたまま、ふわりと宙に浮かび上がった。
すみれたちはあっけにとられた。

 呆然とするあたしたちをおいて、龍平の身体はどんどん宙高く浮かんでゆく。
ママはへたりこんでしまった。
あたしもどうしたらいいかわからず、ただただ龍平が小さくなっていくのを見守るしかなかった。
どんどん龍平の姿が小さくなってゆき、ほとんどごまつぶくらいの小ささになってしまった。

そのとき、突然後ろから声がした。
「ほら、さくら! カードキャプターの出番や!」
ケロちゃんだった。
(※修正後)(修正前はこちら)
その時、突然後ろから声がした。
「ほら、さくら!カードキャプターの出番や!」
ケロちゃんだった。
その声で我に返ったママは、ただちに胸のペンダントをとった。
「星の力を秘めし鍵よ!」
呪文を唱え始めると、ママの姿が変わった。知世おばさんのビデオに出ていた、
あのママの姿だ。
「フライ!」
ママは背中から白鳥のような羽を生やすと、ものすごい勢いで飛び立った。
「さくら!」
ケロちゃんも後に続く。

「ママ、ケロちゃん・・・」
あたしはなにもできず、そこにへたりこむだけだった。

ママとケロちゃんが戻ってきた。
ぐったりとした龍平を包み込むようにシーツが宙に浮かんでいる。
「龍平!」
あたしは龍平に駆け寄ると、ママと一緒に長椅子に寝かせた。
表情は落ち着いている。もう大丈夫みたい。
「ケロちゃん、」
ママの声がした。ママはまだ昔の姿だ。
「このフロートのカード・・・」
「あぁ、クロウのと似てるけど違う。これはクロウカードでもさくらカードでもない」
あたしも2人(?)に駆け寄った、「それに」引き付けられるように・・・
「ママ、ケロちゃん、あたし知ってるよ、この感じ」
「!!」

話は遡るが、最近、友枝小学校では、ちょっとした事件が起きていた。
廊下や階段で、転んでケガをする生徒が増えていたのだ。
といっても、保健室で手当てすれば大丈夫な程度だったのだけど
ケガをした生徒はみんな
「転ぶ前に、靴が勝手に跳ね上がったみたいな感じがした」と
言うのが不思議だと、友達が話していた。
一度、龍平がケガをして返ってきた時に
「あんた、またいじめられたの?」
と問い詰めたら
「今日は違うよ」
と口をつぐんでしまったことがあった。
その頃からだ。あたしが校内で時々変な気配を感じるようになったのは。
そして、その気配が、今、ママが手にしているカードの感じととてもよく似てる。
「ひょっとして友枝小に、私の知らないカードさんが?」
ママが声をあげた。
「こりゃ、カードキャプターの出番や!」
ケロちゃんが応じる
「すばらしいですわ〜」
突然、お約束の声がした。
「知世ちゃん!」
「また、さくらちゃんの活躍を目にすることができるなんて超絶感激ですわ!」
「そして、すみれちゃんも超絶かわいいですわ〜」
「知世、わいのチョーかっこいい姿もぜひ撮ってや!」
お約束のやりとりにつきあいながら、あたしはこれから何か起こりそうな予感に
ちょっぴりわくわくしていた。

その夜、3人(?)はセグウェイに乗って友枝小に向かっていた。
「いつも2人乗りはいけませんって言ってたじゃない」
「えへ。でも、今時ローラーブレードなんて流行んないじゃない」
昔の姿に戻ったママは、楽しそうだった。

やがて学校に近づいてきた。
「ほぇ?あの車・・・」
黄色い車が校門の前に止まっている。ママには見覚えがある車のようだった。
そしてその前にはボディガードと知美ちゃんがいた。
「こんばんは、さくらさん、すみれちゃん、ケロちゃんさま」
「知世ちゃんは?」
「母は、急にイギリスのホーリーツールからTV会議が入ってしまって・・・」
「そこって確かエリオル君の会社だったよね」
大道寺財閥の代表として、今日も忙しいらしい。
「はい、そこで代わりに私が参りましたの」
「知美ちゃん、この車ってひょっとして・・・」
「はい、おふたりのために用意したバトルコスチュームに着替えてください
というのが母からの伝言です。それに」
知美ちゃんの手には最新型のビデオカメラが握られていた。
「ほぇ〜なんでこうなるの・・・」
「知世に知られたらこうなるってわかりきったことやないか」
「はぅ」
ママとケロちゃんのやりとりは、ビデオで見たとおりだった。

やがてバトルコスチュームに着替ると、4人(さくら、すみれ、知美、ケロ)は
校内に入っていった。
「どや、わいのかっこ!」
ケロちゃんは、知美の前をポーズを付けながら進んでいく。
「感じるよ、ママ。こっちの方」
「うん」
・・・ポン、ポン、ポン・・・
校舎の中からぬいぐるみのようなものが跳ねてきた。
「ほぇ〜〜!幽霊!?」
ママは本当に怖がりだ。
「こいつは、思った通りや。ジャンプのカードや」
「え?」
突然、ぬいぐるみは大きく跳ねた。
「さくら、追うんや!」
「うん。ジャンプ!」
ママとケロちゃんは、ジャンプのカードを追っかけて体育館の方へ
跳んでいく。あたしと知美ちゃんは走って追いかけていくしかない。
「あたしも魔法が使えたら・・・」
その時、あたしのピアスが少し光った事を、あたしは気が付かなかった。

ようやく、あたしたちはママたちに追いついた。
「風よ!戒めの鎖となれ!ウィンディ!」
ウィンディのカードによって、ジャンプが捕らえられる。
「今や!封印するんや!」
「うん!」
ママの足元に魔法陣が現れた。
「汝のあるべき姿に戻れ!クロウ・カー・・・キャア!」
ママが弾き飛ばされた。違う、ママが自分の意志と関係ない方向にジャンプしたのだ。
「あかん!発動中のカード同士が干渉しおった!」
真の姿に戻ったケロちゃんは、ジャンプのカードを押え込む。
ママは、まだ自分の力でジャンプの方向をコントロールできない。
「すみれ、こうなったら、すみれが封印するんや!」
「封印って、あたし魔法なんか」
「いいから、魔法を使いたいと願うんや!」
「う、うん」
すると不思議な事が起こった。あたしのピアスが耳からはずれ、
宙に浮いたまま目の前に移動してきたのだ。

あたしの口から呪文がついてきた。
「光の力を秘めし鍵よ。真の姿を我の前に示せ。契約の下、すみれが命じる」
「封印解除(レリーズ)!」
ピアスは光をともなって、杖に変化した。ママの杖とも、ビデオで見た
エリオルおじさんの杖とも違う杖だ。無我夢中でその杖を掴む。
「汝のあるべき姿に戻れ、クロウ・カード!」
ケロちゃんが抱えていたジャンプはカードの形になって、あたしの手元に
飛んできた。
「やったな、すみれ」
仮の姿に戻ったケロちゃんが、声をかける。
「すばらしいですわ。すみれちゃんの勇姿、ばっちり記録に撮りましたわ!」
「知美ちゃん・・・」
「すみれちゃん、大丈夫?」
ママが駆け寄ってきた。
「うん、大丈夫。でもママ、これって?」
あたしはピアスに戻った杖を手にすると、ママの顔をじっと見つめていた。

その頃、知世は執務室でホーリーツリー社とのTV会議を行っていた。
3D画面には、エリオルと、エリオルの妻であり共同経営者でもある歌帆が映っている。
「この戦略的提携によって、両社はさらに発展するでしょう。あなたのご協力に感謝します」
「こちらこそ。早速正式な契約手続に入りましょう」
知世が答える。知世は経営者としても優秀だった。
「ありがとうございます。ところで少しビジネス以外のお話をしたいのですが」
「わかりましたわ。今、回線の暗号強度を上げますわ」
「ご心配なく。僕にはこれがありますから」
画像の色調が微妙に変わる。魔法によって回線がプロテクトされた証拠だ。
「さて、本題に入りましょうか」
「さくらちゃんのことでしょう?」
「あなたの観察眼にはいつも敬服しています。まるで魔法使いのようだ」
「カードのことですの?」
「僕の、いやクロウ・リードの作ったカードが発動しました。今日はそのことで」
「まぁ、クロウ・カードはすべてさくらカードになったのではありませんの?」
「あのカード達がすべてではありません。クロウ・リードは若い頃、
ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け)という所でカード作りを学んだ時期があったのです」

「まだ未熟だったクロウは、不完全なカードも作り出しました。また、ひとりではなく
他の魔術師と協力して作ったカードもありました。クロウは、それらのカードのことを
忘れたわけではありません。ただ、ゴールデン・ドーンを去る時にそれらのカードを
持出すことは許されませんでした。それが掟だったのです」
「クロウはそれらのカードのことがあったからこそ、その後作ったカードは死ぬまで
守りました。そして、死んだ後もカード達をさくらさんに託すことを選びました」
ようやく、知世が口をはさむ。
「それで、それらのカードがどうして今?」
「わかりません。ただ言える事は、今さくらカードになっているカード達と違って、
それらのカードを愛でる主に必ずしも恵まれていない、ということです」
「まぁ」
「私がクロウ・リードから受け継いだ記憶が完全なものであれば、
もっと早くお知らせできたのですが」
「大丈夫ですわ。さくらちゃんですもの」
「!」
「さくらちゃんは、今までどんなことも乗り越えていらっしゃいました。
それに、今のさくらちゃんには小狼君や、すみれちゃん、龍平君もいらっしゃいます。
ですから、きっと大丈夫ですわ」

通信を終了した後、歌帆が尋ねた。
「この結末がどうなるか知っているの、エリオル」
「いや」

このピアスはママからのプレゼントだ。パパがママに最初にあげたプレゼント
だって聞かされていた。でも、ママはピアスなんかしていない。
あたしは、そのことをずぅーっと不思議に思っていた。
「すみれちゃん、こめんなさい。その杖は、パパからのプレゼントなんかじゃないの」
「え?」
「その杖は最初からすみれちゃんのものなの。すみれちゃんが産まれた時、
あなたの手に握られていたものなの」
「ええ、これをあたしが?」
「ママもパパも、それが何なのかすぐにわかったわ。だから、あなたには
いつも身に付けておいてほしかったの」
「でもでも、あたし、まだ契約の儀式なんかしてないよ。
どうして、いきなり封印できたのかな」
「それはねぇ」
ママの話し振りが変わった。
「ケロちゃ〜ん」
突然、ケロちゃんがあたふたし始める。
「人生いろいろやぁ!うっしゃー!!」
これはあとでゆっくりと問い詰めた方がおもしろそうだ、そう思ったあたしは
ケロちゃんにもうひとつの質問をしてみた。

「ケロちゃん、さっきママがジャンプをコントロールできなくなった時
『カード同士が干渉した』って言ってたよね。あれはどうゆうこと?」
追求を逃れたケロちゃんは、ほっとしながら答えた。
「カードの主(あるじ)に対する想いやな」
「想い?」
「カード達は皆、主のことを一番に思っておる。
その想いがさくらのジャンプのカードを暴走させたんや」
「どうして?」
今度はママがケロちゃんに問いかける。
「さくらには、もうジャンプのカードがあるやろ。そこにもって、
もう一枚のジャンプを封印しようとした。そこで自分は嫌われたんじゃ
ないかと思って、パニックになってしもうたんやな」
「でも、フロートのカードは封印できたよ」
「あん時、発動してたのはフライのカードや。だから、さくらのフロートの
カードは何もせえへんかったんや」
「そうだったの・・・」
ママは、手に持ったジャンプのカードに語りかけた。
「ごめんなさい。もう心配させないから、安心して・・・」
ママのカードを見る目は、とても優しい。
あたしも、ママと同じぐらいカードさん達と仲良くなりたいな。
そう思った。


ピピピピピ・・・
「あふぅ。もう朝かぁ。昨日はちょっといろいろあったからなぁ」
制服に着替えると、あたしは階段を降りていく。
パタパタパタ・・・
台所からいい匂いがしてくる。
「おはよう、ママ。今日の朝ご飯はワッフルだよね」
「おはよう、すみれちゃん。おばあちゃんにごあいさつは?」
「あ、そうか。おはようございます。おばあちゃん」
あたしは、テーブルの角にあるホログラムにあいさつをする。
映っているのは、ママのママ。撫子おばあちゃんだ。
おばあちゃんは、ママが小さい頃亡くなっている。でも、モデルをしていたせいで
若い頃の映像がいっぱい残っている。この映像は、藤隆おじいちゃんちの
サーバーとリンクしていて、毎日映像が変わっている。
もちろん、あたしはおばあちゃんに会った事はない。でも、あのすてきな
おじいちゃんが好きになった人だから、きっとすてきな人だったに違いない。
「さぁ、早く食べなさい。すみれちゃんは、今日、日直なんでしょう?」
「うん。いただきまぁす」
壁にあるホワイトボードが目に入った。そこには、こう書いてあった。
「☆しゃ・お・ら・ん・く・ん☆帰国します」
「パパ、今日、日本に戻ってくるんだ」
「うん。でも飛行機遅い時間だから、晩御飯一緒に食べられないみたい」
「ふーん。残念だなぁ」

「ごちそうさま」
「はい、これ、すみれちゃんのお弁当。今日はクラブないんでしょ?」
「うん、いってきまーす。あ、ママ、おそよー君は?」
「あ、龍くんもそろそろ起こさないといけないわね。ほんとうにおそよー君なんだから」
弟の龍平は、あたしと違って朝が苦手。でも、最近は朝寝坊がひどくなっているようだ。
「こんなことだと、また利佳ちゃんにおこられちゃうぞ」
利佳ちゃんというのは、龍平のクラスの担任の寺田利佳先生のこと。
ママとは友枝小の同級生で、面談日の時なんか、あたしたちのことをそっちのけで
話がはずんでしまうぐらいだ。
「いってきまーす」
あたしは玄関を出た。

その頃、さくらの部屋ではケルベロスがカードと向かい合っていた。
宙に浮いているのは、昨日さくらが封印した、もう一枚のフロートのカードだ。
「そうか。わいらが作られる前に、そんなことがあったんや。
クロウもほんとうに人騒がせなやつや。
でも、あんさん、わいらの兄さんにあたるわけやからな。ほぉっておくわけもいかんか」
ケルベロスは、窓を見上げた。
「また難儀なことになりそうやな。ユエ」
その時、下からさくらの声がした。
「龍くーん、ケロちゃーん、朝ご飯だよう」
「おーうう、今行くでぇー」
返事をしてからケルベロスは、ひとりごちた。
「けど、一番難儀なんや龍平や。クロウと同じ闇の力の持ち主やからな」

「♪日直、日直、お花も替えて〜」
あたしは、朝の教室で日直のお仕事をこなしていく。
ママの話では、昔の日直は黒板消しの掃除なんかあったそうだけど、
今はもちろんそんなことをしなくてもいい。その代わり、
プロジェクタの動作チェックしたり、今日の時間割をスケジューラに
登録しなければならない。
でも、お花を替えたりお水をあげるのはママの頃とおんなじだ。
「おはようございます、すみれちゃん」
「あ、おはよう。知美ちゃん」
「昨日は大変でしたわね。でも、すみれちゃんもとうとうさくらさんに
続いてカードキャプターになられました。すばらしいですわ〜」
知美ちゃんの目が輝く。あたしの頭の後ろにおっきな汗が浮く。
「で、昨日は母にビデオの編集を教わるので大変でした。すっかり
夜更かしになってしまいましたわ」
「そんな、編集なんて後でもいいのに」
「そうはいきませんの。母は、急にしばらくイギリスに出張することに
なってしまいまして、今ごろは空港ですわ」
「お仕事なの?大変だね、知世おばさんは」
「それもありますが、すみれちゃんのテーマを作らないと、と母が
申しておりました。今度の出張ではロンドン・フィルにもアポをとったそうですわ」
「ほぇ〜」
あたしは固まった。この親子って・・・

「それにですね、すみれちゃん、今日はクラブありませんでしたわね?」
「う、うん」
「母からのもうひとつの伝言です。カードキャプターになられた以上、
一刻も早く決めポーズを決めてくださいとのことですわ。
今日の放課後はそのための特訓ですわ」
「ほぇ〜」

その日の放課後、校庭の隅であたしと知美ちゃんは決めポーズの特訓をしていた。
「やっぱり、ここはもう少し背筋を伸ばして『契約の下』とおっしゃられた方が」
「う、うん。じゃやってみるね」
その時、あたしは気配を感じた。
「この気配は?」
「きゃーーっつ」
隣の星條カレッジ(現在は大学に昇格してます)から叫び声が上がる。
「すごい風!」
「竜巻だ!」

「知美ちゃん!」
あたし達は急いで物陰に隠れる。
キュー・キュルルル・・・
あたしは、そこで「風」ではない鳴き声のようなものを聞いた。
そぉっと外を覗いてみる。
キュー・キュルルル・・・
あたしに見えたのは風ではなく、とてつもなく大きな鳥だった。
「これは、クロウ・カード?」

その夜、あたし達は友枝小に集まっていた。
「知美ちゃん、バトルコスチュームを2着も用意するの、大変じゃない?」
昔の姿に戻ったママが尋ねる。
「そんなことありませんわ。さくらさんとすみれちゃんのためですもの」
知美ちゃんの目が一段と輝く。
「はぅ」
あたしとママの頭の後ろにおっきな汗が浮く。
「さくら、知美に知られたらこうなるってわかりきったことやないか」
今日もお約束のやりとりだった。

その時、「気配」がした。
「あれは!」
空にあの大きな鳥が舞う。
「あれは、フライのカードや」
「すみれちゃん、私があのフライをなんとか動けなくする。
そしたら、すみれちゃんが封印して」
「うん、ママ」
「よっしゃ、カードキャプターの出番や!」
「では、決めポーズの初お披露目ですわね」
「え、そんなぁ、恥ずかしいよう」
「恥ずかしがってはいけませんわ。すみれちゃんはカードキャプターなんですもの」
「・・・うん」

あたしは深呼吸すると、呪文を唱えた。
「光の力を秘めし鍵よ。真の姿を我の前に示せ。契約の下、すみれが命じる」
「封印解除(レリーズ)!」
あたしのピアスが杖に変わった。
ママは自分のフライのカードに向かって、パニックを起こさないように語りかける。
「お願い。もう一枚のカードさんをほおってはおけないの。だから助けて」
「フライ!」
飛び立ったママはもう一枚のフライに近づいていく。
キュー・キュルルル・・・
鳴き声が大きくなった。
「あかん!さくらのフライは大丈夫でも、もう一枚のフライの方が
パニックになりよった!」
突風が吹きすさぶ。
「キャアーー!」
「すみれ!」
あたしは吹き飛ばされていた。

気がつくと、あたしは鳥の首につかまっていた。
「いやぁ、こわいよう!」
「すみれちゃん!」
「すみれ!」
ママやケロちゃんの声が聞こえる。
キュー・キュルルル・・・
鳥の鳴き声が大きくなる。でも、その声に怒り以外のものがあることに
あたしは気づいた。
「けが?」
鳥の羽のつけねから血が流れていた。
そうか、それで昼間あばれていたんだ。
あたしは夢中で念じた。
「お願い。おとなしくして。みんな、あなたのことを助けたいの!」
キュー・キュルルル・・・
鳴き声がおだやかになった。

いつのまにか、私の腕の中で鳥さんが抱かれていた。
きょとんとした目で私を見つめている。
「わかってくれたのね」
その時、わたしにはもうひとつのことがわかった。
「ここ、空の上じゃない!キャアー!」
「すみれちゃん!」
「あかん!ジャンプのカードには高すぎる!」
地面に激突しようというところで、あたしたちのからだは
風につつまれた。軟着陸だ。
「今や、すみれ、封印するんや!」
「うん」
あたしは鳥さんに言った。
「こわくないからね」
鳥さんは行儀よく、あたしの目の前にすわった。
「汝のあるべき姿に戻れ!クロウ・カード」
フライのカードがあたしの手にすべりこんでくる。
「ようやったな。すみれ。これでカードも2枚や」
「うん。あれ、ママは?」
あたしは校内を見渡した。

「ありがとう、小狼くん。すみれちゃんを魔法で助けてくれたの、小狼くんでしょ」
校舎の影で、さくらは小狼に語りかけていた。
「すみれは、さくらとおれの子供だからな。当然だ」
「うん。でも、ほんとうにありがとう」
小狼は顔を赤らめるだけで声が出ない。
「ねぇ、今度、この格好でデートしようか?」
クロウ・カードを集めていた頃の姿のさくらが、いたずらっぽく問いかけた。
小狼の顔が、さらに赤くなる。
「・・・好きにしろ」
「うん、約束だよ」
さくらが笑顔で答える。
「ママー、どこにいるの」
カードを封印したすみれの声が聞こえてくる。
「じゃ、あたし、すみれちゃんとケロちゃんと帰るから後でね。
今日のことはすみれちゃんには黙っておいた方がいいと思うから」
「ああ」

「ごめーん、でもでもすみれちゃん、ちゃんと封印できたんだよね?」
さくらがすみれたちに駆け寄る姿を見つめる小狼だった。

ピピピピピ・・・
「あふぅ。もう朝かぁ。昨日もカードの封印で夜更かししちゃったからなぁ」
制服に着替えると、あたしはあることを忘れていた事に気がついた。
「そうだ、カードさん達におはようのあいさつをしなくちゃ」
机の引出から2枚のカードを取り出す。
あたしが封印した、ジャンプとフライのカードさん。
「おはよう、カードさん。あれ?」
フライのカードのけががなおっている。
昨日、フライのカードさんは左の羽のつけねにけがをしていた。
それでフライのカードさんは暴れていたのだ。

フライのカードさんを封印した時、あたしはケロちゃんに聞いた。
「フライさんのけが、大丈夫かな」
「うーん、封印の書があるといいんやけど・・・」
ケロちゃんによると封印の書に入れておけば、カードのけがなんかは
すぐになおるらしい。
「封印の書がないとなると、主の魔力をもらいながら、
少しずつけがをなおすしかない。ちょっとは時間かかりそうやな」

あたしはカードさん達をしまうと、龍平を起こしに行った。
最近の龍平は、ほんとうにおそよー君だ。
「おそよー!朝だよ!いつまで寝ているの!」
ふとんをはがす。いつものように、龍平は丸まって寝ていた。
「・・・ああ、お姉ちゃん?」
ねぼけまなこだ。
「さぁ、起きて・・・ちょっと、あんたけがしてるの?」
左の肩甲骨の所だ。
たいしたけがではないけど、パジャマに血が薄くついている。
「また、いじめられたの?」
「そんなんじゃないよ。友達が」
「いいから脱いで。今、お薬持ってくるから」
でも痛くはなさそうだ。バンソウコウを貼っておけば大丈夫だろう。
あたしは安心した。

「いただきまーす!」
今日の朝ご飯は中国粥だ。パパが日本にいる時は、木之本家の朝食は中国式になる。
あたしは中国粥は嫌いじゃない。
「でも、ワッフルの時みたいにフルーツやジュースがつかないのはね」
独り言を言うあたしの目の前に、フルーツとジュースが置かれた。
「ママ?」
「すみれちゃん、昨日、がんばったから」
ママが小声でささやいた。もちろん、みんなの前にも同じものが置かれた。
いつもと違う献立に、龍平は不思議そうだ。パパは何も言わない。
でも、ケロちゃんは
「お、今日は豪華やないか。今朝は小僧がおるのに、さくら、どうゆう風の吹き回しや?」
「なにが小僧だ?」
「まぁまぁ、ふたりとも」
あたしとママはお約束のせりふを言う。そして、みんなでくすくすと笑う。

「いってきまーす」
あたしと龍平は玄関を出た。今日はいい天気になりそうです。

その夜…、
パパのいる日は、ケロちゃんはあたしの部屋で寝る。そんな日は寝る前に
ケロちゃんの話を聞くのを、あたしは楽しみにしていた。
「・・・そしたら、さくら、部屋の中でいきなり杖を封印解除(レリーズ)しよった。
わいがあっけにとられていると、次々とクロウ・カードをさくらカードに
替えだしたんや」
「それで、ママはどうなったの?」
「何枚か替えたんやが、さくらの魔力はまだ弱かったやろ。さくら、
目ぇ回してぶったおれてしもうた。ほんとう、カードのために一生懸命だったんやな」
「そーかぁ」
パパのいる日は、ケロちゃんはあたしの部屋で寝る。そんな日は寝る前に
ケロちゃんの話を聞くのを、あたしは楽しみにしていた。
「そしたら、ダッシュのカードが兄ちゃんの自転車に乗り移りよってな、
暴走しだんや」
ケロちゃんはあたしにいろいろな話をしてくれる。はじめて、おじいちゃんちの
地下室でママと出会った時のこと、ママとパパがどんなふうにクロウ・カードを
集めてきたか、そしてすべてのカードをさくらカードに替えた時のこと・・・
「・・・あたしも、ママと同じぐらいカードさん達と仲良しになれるかな・・・」

「なんや、すみれ、寝入ったんか?」
ケルベロスがすみれの顔をのぞきこむ。
すみれは、静かな寝息をたてている。
「すみれも、さくらに似て、ほんまにみんなのために一生懸命になるなぁ。
あのカード達もすみれが主になれればいいんやけど・・・
今回は、さくらの時と同じようなわけにはいかんのや。」
ケルベロスは、すみれのふとんをかけなおした。
「おやすみ、すみれ」

すみれの部屋の明かりが消えた。


「あれ?」
あたしはまっしろな部屋にいる。部屋にはベッドがひとつ。
「龍平?」
ベッドに寝ているのは龍平だった。
肩で息をしている。苦しいはずなんだけど、龍平の表情は不思議に安らかだ。
「どうしたの龍平?どこか悪いの?」
あたしは聞きたいのだけど、声が出ない。
龍平の口元が動く。え?聞こえないよ?
なにか言っているようだ。でも、でも・・・


ピピピピピ・・・
「あふぅ。朝か。あれ?」
「どないしたんや、すみれ?なにか悪い夢でも見たんか?うなされてたで」
「う〜ん、何か夢を見ていたみたいだけど、忘れちゃった」
「おいおい。仮にもすみれはカードキャプターやろ?
魔力のあるもんにとっては夢っちゅんのは大切なもんなんや。
予知夢ってこともあるんやし」
「ってことは、あたし予知夢を見てたのかな?」
「そうかもしれん。これからはちゃんとしぃな」

「それにしてもいい天気やな。
すみれ、今日はさくらと小僧と一緒に、友枝遊園地行くんやろ?」
「うん」
龍平は昨日からおじいちゃんの所に行っている。東京の近くで発掘を
している時、おじいちゃんは週末に龍平を呼ぶことが多い。
そして、発掘現場を回ってふたりで楽しそうに話している。
龍平はおじいちゃんに似て歴史とか考古学が大好きだ。
それに、龍平には鑑識眼みたいのがあるらしく、一度おじいちゃんの
作業場にあったがらくたみたいなものから、なにかすごいものを
見つけ出した事がある。あの時のおじいちゃんの喜びようったら・・・
「でも遊園地の方が、楽しいと思うけどな」
男の子らしくないなとは思う。でも、おじいちゃんと
あたしにはよくわからないことを話しているのをみると、なぜだか
ちょっぴりうらやましくなる。
「すみれ、友枝遊園地といえば、なにか大事なこと忘れてへんか?」
「うん。こぐまやのプリンでしょ」
こぐまやっていうのは遊園地の近くにあるケーキ屋さん。
ケーキもおいしいけど、あたしとケロちゃんはそこのプリンが一番好き。
「あ〜プリンやぁ。プリン、プリン」
「ケロちゃん、ほんとうに食い意地はってるぅ」

「ママ、あたし準備できたから、そろそろ行こうよ!」
あたしは部屋から玄関に向かう。
「・・・ママ?」
ママはクロウ・カードを集めていた頃の姿になっていた。すぐそばで
パパが半分困ったような顔をしている。
「またクロウ・カードが?」
「ううん。そんなことないよ。この方がすみれちゃんと一緒に遊べるし」
ママはいたずらっぽくパパを見上げる。
「小狼くんもその方がいいって」
パパの顔が赤くなる。
「と、とにかく出るぞ」

でもパパはちょっとうれしそうだ。

「あ〜楽しかった」
「うん!」
あたし達は絶叫マシンに乗りまくった。
パパはふらふらになっているけど、あたしとママはまだまだ元気!
「さくら、すみれ、少し休んでいかないか?」
「う〜ん。あ、ちょっと待っててね。あたし、アイスを買ってくる」
ママはアイスクリームスタンドに駆け寄った。
「あの、3段アイス3つください。
えっと、チョコレートとストロベリーと・・・」
ママはクレジットカードをセンサーにかざす。
「お嬢ちゃん、パパのカードじゃ払えないよ」
ピッ!指紋照合による本人確認の音だ。
「え?支払OK?」
アイスがママに渡される。
「小狼く〜ん、すみれちゃん、アイスだよ!」
スタンドの店員はレジに表示されたデータを確かめながら、
ママを見ながら不思議そうに言った。
「どう見ても、小学生だよね」

あたし達は「ぬいぐるみの町」に入った。ぬいぐるみ関係のお店や出し物が
いっぱい入っている所だ。

「これかわい〜」
「見て見て!これもかわいいよ」
「これはどう?ぬいぐるみさんの衣装。ケロちゃんに着せたら似合うんじゃない」
「でも、こっちのも、似合うんじゃないかな」
「う〜ん、目移りしちゃうよぉ」

「これかわい〜」
「見て見て!これもかわいいよ」
「これはどう?ぬいぐるみさんの衣装。ケロちゃんに着せたら似合うんじゃない」
「でも、こっちのも、似合うんじゃないかな」
「う〜ん、目移りしちゃうよぉ」

「これかわい〜」
「見て見て!これもかわいいよ」
「これはどう?ぬいぐるみさんの衣装。ケロちゃんに着せたら似合うんじゃない」
「でも、こっちのも、似合うんじゃないかな」
「う〜ん、目移りしちゃうよぉ」

「おい、さくら、すみれ。気が付かないのか?」
「どうしたの小狼くん?」
「俺たち、さっきから同じ所に何回も来てるんだぞ」
「そんな、ここは一本道だよ。まさか?」
回りからも声が上がる。
「おかしいなぁ」
「あれ?道に迷った?」

「これはループのカードだ」

「感じるよ、クロウ・カードの気配」
「ああ、でもつなぎめを見つけないと。
こんなことなら羅針盤を持ってくるべきだった」
ママもパパも気配だけでは、ループの場所はわからないみたいだ。
「とにかく、どこかに不自然な所があるはずだ。探そう」
けれども「ぬいぐるみの町」は同じ作りのブロックがつながってできている。
つなぎめがあったとしても、気が付かない。
「やっかいな所に現れたな」
「うん。でも、騒ぎが大きくならないうちに、早く見つけないと」
「あれ?このあたり・・・」
あたしは「気配」の強さが変わった事に気がついた。
でもママもパパも気づいていない。
「ママもパパもわからないなら、あたしの気のせいか」
その時
「あ!」
小さな女の子が落としたボールがあたしの足元にころがってきた。
「あれ?」
ボールはあたしの前で止まり、逆にころがった。
「ここ、坂が逆になっている」
「そうか、ここは全体がゆるやかな下り坂になっているから、
ループのつなぎめで元に戻るんだ!」

あたし達は倉庫の入り口を見つけると中に入った。
「ここなら魔法が使っても大丈夫」
ママが星のペンダントを取り出す。
「星の力を秘めし鍵よ。真の姿を我の前に示せ。契約の下、さくらが命じる」
「封印解除(レリーズ)!」
パパは精神統一して、剣を実体化させる。
そしてあたしは
「光の力を秘めし鍵よ。真の姿を我の前に示せ。契約の下、すみれが命じる」
「封印解除(レリーズ)!」
「すみれちゃん、パパがつなぎめを切るからカードを封印して!」
「うん」
「タイム!」
ママが時間を止める。あたし達は、つなぎめの所に駆け寄った。
「ハッ!」
パパが剣を振り下ろすとループのカードが現れた。
「今よ!すみれちゃん!」
「うん、汝のあるべき姿に戻れ!クロウ・カード!」

「やったぁ!」
ママがタイムの魔法を解いた。
「すみません。そのかわいい杖、どこで売ってるんですか?」
すぐそばにいた女の子があたし達に気づくと聞いてきた。
「え?えぇ、これ、どこで買ったんだっけ」
あたしは、必死でごまかした。
「ママ、魔法解くの早過ぎだよ」
「・・・ごめん」

もうすっかり夕方だ。さくら達は遊園地の出口に向かっていた。
「帰りにこぐまやさんに寄っていこうよ」
すみれはプリンのことを忘れていない。
時計塔のそばを通る。友枝遊園地が開園してから、いろいろな
アトラクションができたりなくなったりしてるけど、この塔は変わっていない。
「小狼くん」
さくらは、小狼に体を寄せる。
「覚えてる?ここで、無のカードを封印した時のこと」
「ああ」
忘れるはずがない。
「あたしの一番は小狼くんだよ」
「俺もだ。さくら」

<126的小話:完>


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